2018年5月19日 (土)

「国分二寺図」の伽藍配置

「国分二寺図」の伽藍配置

東大寺がモデルとなった多元的「国分寺」研究

 

先のブログ記事「ポピュラーな伽藍配置」(2018516 ())で東大寺の伽藍配置図を掲げました(次図)。
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 もう一度説明しますと、金堂前庭を囲った回廊の縦横比が2:3、金堂を囲った回廊の縦横比が6:5、塔心々線(東塔心と西塔心を結んだ線分)と金堂心・塔心々線間距離の比が5:2(中軸線から塔心で測れば5:4)、中門・金堂心々距離と金堂・講堂心々距離の比が1:1(等距離)となっていて、しかも回廊が金堂を囲む「金堂院」形式と回廊が金堂両妻に取り付く「金堂前庭院」形式とを併せもった伽藍中枢となっています。

 この東大寺をモデルにして「国分二寺図」が天下諸国に頒下されたと考えられます。

 

【『続日本紀』】

《天平十三年(七四一)三月》乙巳24日〕、詔曰、(中略)宜令天下諸国各令敬造七重塔一区、并写金光明最勝王経・妙法蓮華経各一部。(後略)

〔これがいわゆる“国分寺建立の詔”といわれているものですが、「国分寺」という言葉もなければ寺を造れとも言っていないものです。〕

《天平十九年(七四七)十一月》己卯〔7日〕、詔曰、(中略)而諸国司等怠緩不行。或処寺不便。或猶未開基。以為天地災異、一二顕来、蓋由茲乎。朕之股肱豈合如此。是以差従四位下石川朝臣年足・従五位下阿倍朝臣小嶋・布勢朝臣宅主等、分道発遣、検定寺地、并察作状。

《天平宝字三年(七五九)十一月》辛未〔9日〕(中略)頒下国分二寺図於天下諸国。

 

次の点を押さえておく必要があります。

・“国分寺建立の詔”から十八年半以上経過した後で「国分二寺図」が頒下された。

・天下諸国は十八年半以上「国分二寺図」の頒下を待機していたとは考えられない。

・天平十九年に石川朝臣年足・阿倍朝臣小嶋・布勢朝臣宅主等を派遣して寺地の検定や金光明寺・法華寺の進捗状況を監察させているので、常に諸国における進捗状況は把握していたと考えられる。

・十八年半以上経過しているにも関わらず「天下諸国(六十六ヶ国)」に「国分二寺図」を頒下している。

・十八年半以上経過するなか督促もうけているので「天下諸国」は「国分二寺図」の頒下前に既に着工していたと考えられ、「国分二寺図」通りに造営できるのは未着工の国だけであり、多くの国は、「国分二寺図」に似せて改造するくらいしかできなかっただろう。つまり、「国分二寺図」は「改造基本計画図」だったと考えられる。

・未着工の国が全くなかったと断言はできない。「天下諸国(六十六ヶ国)」のうち一ヶ国くらいは未着工の国もあった可能性はある。未着工の国なら「国分二寺図」通りに造営できた。

 以上のことから、未着工の国があったなら総国分寺の東大寺がモデルの「国分二寺図」通りに金光明寺(金光明四天王護国之寺)を造営したと考えて、東大寺の整数比が出現する諸国国分寺を探したところ、「播磨国分寺」が最もよく東大寺の整数比が出現する国分寺であると認められた。よってこれが「国分二寺図」の僧寺伽藍配置であると考えた。とすれば、播磨国は十八年半以上未着工であったと考えられる。それが確かだと思えることは、遺跡発掘上で基壇等に改造の痕跡が見つけられないことや寺地区画が西偏している(在地勢力が寺地を選定したと考えられる)のに対して、伽藍はすべて(南大門・中門及び回廊・金堂・講堂並びに中軸線)寺地区画を無視して正方位に造営されている。未着工に業を煮やした中央権力の関与があったと考えられる。

 播磨国分寺(伽藍中枢は「金堂前庭院」)は伽藍配置(次図)に次のような整数が現れる。
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・回廊縦横比2:3

・金堂・塔心々線間距離と中軸線・塔心間距離の比が4:5

・南大門心・中門心(回廊南辺)間距離と回廊南辺(中門)心・回廊北辺心間距離が1:1(等距離)

 

2018年5月18日 (金)

法隆寺から国分尼寺まで

法隆寺から国分尼寺まで

James Mac さまの論考のご紹介[著書や論考等の紹介][古田史学]

 

先に私の下記ブログ記事でJames Macさんの論考をご紹介しましたが、James Macさんがご自身のホームページから法隆寺や国分寺に関連する記事を次々とブログに転載してくださっていますので、ご紹介いたします。とても勉強になりました。

「法隆寺」の「尺度」について

James Mac さまの「法隆寺の尺度」考のご紹介[著書や論考等の紹介][度量衡]

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/05/post-4402.html

 

 以下がJames Macさんのブログ記事へのアドレスリンク(下線部分)です。

古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない

 

国分尼寺と筑紫尼寺(この項の作成日 2016/07/10、最終更新 2016/07/31

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/850677bf297200ddd77987499c370483

 

「筑紫尼寺」の実在性(この項の作成日 2015/02/12、最終更新 2015/03/23

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/5787586a7d1e39a8fd10a6d9f1a07abb

 

「檀林寺」と「筑紫尼寺」(この項の作成日 2014/12/28、最終更新 2018/01/06

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/63a5bbf03e1ed1980bdaae297e03ddf0

 

「妙心寺」の鐘と「観世音寺」の鐘(この項の作成日 2014/12/28、最終更新 2015/01/29

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/d0711b992caa49e2553c7e300978e70f

 

「妙心寺」の鐘と「檀林寺」(この項の作成日 2014/12/28、最終更新 2015/01/08https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/fbd72d3694f01d6e10cb2d96c2ddccdc

 

「天王寺」と「四天王寺」(この項の作成日 2011/01/07、最終更新 2016/12/24

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/e3f63f0497bd5a1f77f9aa934757e045

 

「法隆寺」の「四天王像」と「四天王寺」の「四天王像」の差異(この項の作成日 2011/01/07、最終更新 2014/12/24

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/137abe0d219261d891080c309bb712ef

 

「法隆寺」と「三十三間堂」(この項の作成日 2012/10/08、最終更新 2016/04/10

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/7ddab1d987dc090692ab55df975616de

 

「法隆寺」の「瓦」と「隋」(この項の作成日 2012/10/08、最終更新 2015/03/11

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/f50059f34a06e842872f1ddd4662ed80

 

「法隆寺金堂釈迦像」及び「薬師像」の光背銘文について(この項の作成日 2012/11/24、最終更新 2013/05/10

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/a18073bd1bdc07030182f547b15c9c85

 

中国で発見された『維摩経疏』残巻について(この項の作成日 2012/11/12、最終更新 2014/03/16

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/66b1ba726c13f48e7dc5d1305b76fb85

 

「法隆寺」創建本尊について(この項の作成日 2003/01/26、最終更新 2015/01/11https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/01cfc816b07a2ed63f5e299c219c4fb0

 

「法隆寺」と「元興寺」(この項の作成日 2012/10/08、最終更新 2013/04/04

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/e18d5ba412fdd294b570bcea121565fb

 

「碾磑」について(この項の作成日 2012/05/20、最終更新 2015/04/03

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/ebb636ec6bec3d9b2caf213651b30353

 

「元興寺」と「法興寺」(この項の作成日 2012/10/08、最終更新 2015/03/21

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/eaf2c1bccbd3a0d1d6bc0d3a95318a3a

 

「幡」と「鐘」(この項の作成日 2003/01/26、最終更新 2015/04/08

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/9804f6ad972f239cc4a447bd6beb81ba

 

「斑鳩寺」と「火災」の痕跡(この項の作成日 2003/01/26、最終更新 2015/04/08

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/d1ddeab73a312fc5dc244440744b3725

 

法華経講話と「法隆寺」創建について(この項の作成日 2003/01/26、最終更新 2017/07/22

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/028935f4066eec18375a985a910084ef


2018.05.19リンクを追加]

和歌一つから、倭年号(九州年号)・法隆寺五重塔・聖武天皇「大仏建立」・遣隋使など多方面に展開されるいつもながらの博学さに思わず追加をしてしまいました。

 「なにはづ」の歌(この項の作成日 2011/01/22、最終更新 2016/02/07

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/b0841e2ccb304440ad354d0843a24554

ミッシング「倭年号(九州年号)」
九州島内で確認される「倭年号(九州年号)」資料は「筑紫」(福岡)「肥」(大分)「豊」(熊本)の三国に偏りがあり、しかも、全九州から全く「倭年号(九州年号)」を記した資料が存在しなくなる時期(「願転」「光元」「定居」「倭京」「仁王」「聖徳」「僧要」「命長」「常色」に渡る、西暦五九四年から六五二年まで、「法興」などの別系統年号と重なっている五十年ばかり)があるそうです。

 「倭年号(九州年号)」の発見例が多い「長野」「福島」でもこの期間はほとんど確認できなくなり、かえって遠隔地の「奈良」「愛知」などで確認され、また「法興」も九州島内ではなく、他の地域(「愛媛」、「奈良」、「滋賀」、「大阪」)で確認されるとのことです。

法隆寺五重塔の和歌
法隆寺の「昭和の大修理」の際、解体修理した五重塔の部材に(天井裏組木)、「紫香楽宮」跡地ほか全国各地から出土する大型木簡(「あさかやまかげさえみゆるやまのいの、あさきこころをわがおもわなくに」が表裏)に書かれた和歌「奈爾波都爾佐久夜己」(「なにはづにさくやこのはなふゆごもり、いまはるべとさくやこのはな」の一部分とみられる。)が発見された。この和歌は筑紫の「志賀海神社」に遺存し、他の地からも出土している。

聖武天皇の大仏建立
「紫香楽宮」で聖武天皇が「遷都」など儀式を行なった際に「なにわづ」「あさかやま」を読み上げていた事を推定させますが、彼にとってこの儀式は「特別」な意味を持っていたものと推察されます。」とあります。“九州王朝シンパ”(と私は思っています)聖武天皇の一側面をみることができます。

セクハラは法令で処罰されない!?

セクハラは法令で処罰されない!?

国家の指導者の資質 [現代]

 

毎日新聞野口武則記者の記事によれば、財務省福田淳一前事務次官のセクハラ問題を巡り、麻生太郎副総理兼財務相が「『セクハラ罪』という罪はない」と繰り返した発言に批判が相次ぎ、政府は野党(立憲民主党)の質問主意書に対する答弁書で次のように答えているそうだ。

以下は、記事の抜粋です。詳しくは下記記事をご覧ください。

…………………………………………………………………………………………………………

 答弁書は、セクハラの定義について、職場や職場外での「他の者を不快にさせる性的な言動」と人事院規則が定めているとし、「これらの行為をセクハラとして処罰する旨を規定した刑罰法令は存在しない」とした。

…………………………………………………………………………………………………………

 一連の流れから判断すると、刑罰法令に触れなければ何をやってもよいという主旨の答弁書を閣議決定しているとしか受け止められない。

 わが国は、このような閣議決定を行う人びとに指導される国となってしまった、ということだろう。

 

毎日新聞デジタル

政府

「セクハラ罪は存在せず」答弁書を閣議決定

毎日新聞2018518 1133(最終更新 518 1143)

https://mainichi.jp/articles/20180518/k00/00e/010/220000c

2018年5月16日 (水)

注文した図書の入荷連絡があった

『古瓦の考古学』『よみがえる古代山城』

この二冊が入荷したとの連絡があった(12:20)。
さっそく引き取りにでかけ書斎(ファストフード店)で読むことにする。
読書している時は記事のアップロードは基本的にしない、というかできない。
コメントの応答も遅れがちになりますが、お許し願いたい。

ポピュラーな伽藍配置

ポピュラーな伽藍配置

森郁夫「わが国古代寺院の伽藍配置」並びに貞清世里・高倉洋彰「鎮護国家の伽藍配置」[著書や論考等の紹介]

 

森郁夫氏の「わが国寺院の伽藍配置」と貞清世里・高倉洋彰「鎮護国家の伽藍配置」の二論文をご紹介します。この論文で寺院の伽藍配置についての理解が得られます。論文を読むのがおっくうな方に伽藍配置の画像だけを抜粋して紹介します。詳しくは是非論文をお読みください。

 

森郁夫「わが国古代寺院の伽藍配置」

http://www.kyohaku.go.jp/jp/pdf/gaiyou/gakusou/13/013_ronbun_a.pdf

 

まず、蘇我氏の氏寺「飛鳥寺」です。“一塔三金堂”といわれていますが“東金堂”“西金堂”といわれている建物が「金堂」かどうかはわかっていません。邸宅を改造した寺院です。
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飛鳥寺の伽藍配置

 

四天王寺の伽藍配置は、中門から見て塔・金堂が縦に並んだ「四天王寺式(伽藍配置)」といわれる形式です。この伽藍配置は回廊(内郭区画)の縦横比が3:2となっています。若草伽藍も「四天王寺式」です。
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四天王寺の伽藍配置

 

山田寺の伽藍配置は、「四天王寺式」と同じ縦型ですが、中門から出た回廊がそのまま一周して中門に戻っている「山田寺式(伽藍配置)」と呼ばれる様式です。その回廊の南北幅は塔と金堂によって三等分されています。中門を出た回廊がそのまま中門に戻る様式は最も古い様式と考えられます。
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山田寺の伽藍配置

 

法隆寺の伽藍配置は、中門から見て西に塔、東に南面した金堂を配する「法隆寺式(伽藍配置)」といわれる横型の伽藍配置です。回廊は中門を出た回廊がそのまま中門に戻る最も古い様式です(現在の回廊は凸形に改造され講堂に取り付いています)。この伽藍配置をとる寺院の数は比較的多く、吉備池廃寺(百済大寺)・海会寺も「法隆寺式」です。
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法隆寺の伽藍配置

 

川原寺の伽藍配置は、明らかに創建時のものではなく、「観世音寺式」の講堂を金堂に改造し新たに増築した講堂を東大寺のような僧房で囲おうとしたようにみえます。川原寺しかない伽藍配置を「川原寺式(伽藍配置)」と呼ぶのは間違いです。一つしかないものは「様式」ではありません。
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川原寺の伽藍配置

 

薬師寺の伽藍配置は、回廊(内郭区画)の中央(ど真ん中)に金堂を置き、中門と金堂の中間に双塔を配する「薬師寺式」と呼ばれる伽藍配置です。回廊は講堂両妻に取り付いています。回廊が講堂に取り付く形はそのまま中門に戻る回廊より時代が降っている様式です。本薬師寺(もとやくしじ、藤原京)、薬師寺(平城京)、河内百済寺がこの様式です。
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薬師寺の伽藍配置

 

大安寺の伽藍配置は、塔院(塔を回廊で囲う)を内郭区画外の東西に配するもの。通説では「南大門の外に双塔を配する伽藍配置」とされているが「南大門」は「南中門」(『流記資財帳』)の誤認で、「大安寺式伽藍配置」という様式は存在しない。俗界から寺院への入口が「南大門(南門・山門とも)」であり、すなわち「南大門」のない寺院はない。なお、森郁夫氏が「『続日本紀』霊亀二年(七一六)五月条に「始めて元興寺を左京六条四坊に徙し建つ」とあるが、その地は大安寺の寺地であり、元興寺については養老二年九月条に「法興寺を新京に遷す」とある。したがって、霊亀二年のこの記事が大安寺の移建をさすことが確実視されている。」というのは、全く論理的ではない。

・霊亀二年(七一六)五月、「元興寺」
(この元興寺は對馬の近くにあったと考えられ、法興寺(飛鳥寺)とは全くの別寺である)を左京六条四坊に移建した。平城京の左京六条四坊には大安寺がある。すなわち、大安寺の伽藍は元興寺の伽藍を移築したものである(『続日本紀』はこういっているのだ)。
・養老二年(七一八)九月、「法興寺(飛鳥寺)」を新京(平城京)に遷した。東大寺の近く、興福寺の南に法興寺を遷した「元興寺」がある。つまり「法興寺(飛鳥寺)」を平城京に遷して「元興寺」と改名した「元興寺」は七一六年に既に無くなっているので問題なく改名できる)。平城京に遷した「法興寺」を「元興寺」と改名したので、飛鳥に一部残った「法興寺」を「もと『元興寺』」と呼ぶことになった。

この事実から「
したがって、霊亀二年のこの記事が大安寺の移建をさすことが確実視されている。」とするのは論理のひとかけらもない原文改訂解釈である。頭の良い方々が平然と「したがって」と言っていることが信じられない。「元興寺を新京に遷した」のではなく「法興寺(飛鳥寺)を新京に遷した」と書いてあるのです。どうやったらこんな解釈ができるのか、首をひねってしまいました。
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大安寺の伽藍配置

 

東大寺の伽藍配置は、「国分二寺図」(国分寺(僧寺・尼寺)の基本図)のもとになった伽藍配置です。いわゆる“国分寺式伽藍配置”が中門から出た回廊が金堂両妻南寄りにとりついて、金堂前庭を囲っている中枢伽藍(私は「金堂前庭院」と呼んでいます)なのですが、東大寺もその形を含んでいます。「金堂前庭院」の縦横比が2:3、金堂を囲った回廊「金堂院」の縦横比が6:5、金堂心・塔心々線と塔心々間の距離が2:5、さらに中門・金堂心々間金堂・講堂心々間等距離になっていて、非常に整った伽藍配置となっています。金堂を囲む「金堂院」と金堂前庭を囲む「金堂前庭院」を併せもった伽藍中枢となっています。
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東大寺の伽藍配置

 

森郁夫氏の論文にはなぜか「観世音寺式伽藍配置」と「法起寺式伽藍配置」が抜けていますので、次の論文から画像を紹介します。

貞清世里・高倉洋彰「鎮護国家の伽藍配置」(ここから観世音寺式伽藍配置図)

http://seinanmi.seinan-gu.ac.jp/insei/kojin/sadakiyo/sada2010-10.pdf

貞清世里「西海道の法起寺式伽藍配置をとる古代寺院の検討」(ここから法起寺式伽藍配置図)
http://seinanmi.seinan-gu.ac.jp/insei/ronshu/6/sadakiyo.pdf

 

筑紫観世音寺の伽藍配置は、塔を東に、東面する金堂を西に配し、回廊が講堂両妻に取り付く「観世音寺式」といわれる伽藍配置様式です。筑紫観世音寺、多賀城廃寺、郡山廃寺、夏井廃寺、穴太廃寺、等々寺院数はけっこう多くあります。
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観世音寺の伽藍配置

 

「法起寺式伽藍配置」は、「法隆寺式」の塔と金堂の東西を入れ替えた形です。東に塔、西に南面金堂を配して、回廊は講堂両妻に取り付く横型伽藍配置です。
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法起寺式伽藍配置

 

特殊な伽藍配置として「大官大寺(藤原京)」の伽藍配置があります。縦型寺院なのですが、回廊内に塔・金堂・講堂を置き、しかも「金堂前庭院」(中門から出た回廊が金堂両妻に取り付く)の中に東に塔(九重塔)を置くという特異な伽藍配置です。双塔の計画だったと推定されています。完成をみずに711年に焼亡してしまいました。
奈文研の「14653_1_飛鳥・藤原宮発掘調査概報」(pdfファイル)にある伽藍復原図を加工した画像を掲載します。
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大官大寺の伽藍配置

以上が知っているとよい伽藍配置です。

2018年5月15日 (火)

「法隆寺」の「尺度」について

「法隆寺」の「尺度」について

James Mac さまの「法隆寺の尺度」考のご紹介[著書や論考等の紹介][度量衡]

 

古田史学とMe
古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

「法隆寺」の「尺度」について 20180515 | 古代史

https://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/53e9080fe9826261a7e18c6490cb3859

James Mac さまの法隆寺の尺度についての論考です。大変興味深く拝読しました。

 

>「古韓尺」という「半島」に存在していたという「古尺」に想定する考え方もあります

 

“高麗尺”・“古韓尺”などの仮想尺度(ものさしの実物がない創作された尺度)について、すこし論じたいと思います。

 

〖取りざたされる尺度・単位〗

1.商尺・殷尺(17.00㎝)、骨尺(南京博物館蔵、伝安陽県安陽(殷墟)出土)。

2.戦国尺(23.00㎝)、銅尺(北京歴史博物館蔵)ほか。

3.前漢尺(23.30㎝)、 牙尺(北京歴史博物館蔵)ほか。

4.後漢尺(23.09㎝)、漢委奴国王印(印制「方一寸」)。銅斛尺(標準器「新嘉量」のますの深さ)と同じ。王莽貨布尺(貨布四枚)。

5.魏尺・正始弩尺(24.30㎝)、弩桟に刻されたもの。

6.晋後尺24.50㎝)、元帝後に江南で用いられた尺。黄鐘管長の10/9(19.61㎝)の1.25倍、黄鐘管長の10/9(19.61㎝)はこの8割。

7.隋・唐小尺(24.69㎝)、残骨尺(北京歴史博物館蔵)。唐尺29.63㎝の5/6。中国南朝滅亡時に江南で用いられていたもの。

8.“古韓尺”26.7前後、唐尺29.63㎝の9割前後、“高麗尺”の3/4前後

9.梁尺(24.90㎝)[/]金彫鳳銅矩尺(日本白鶴美術館蔵)。

10.開皇官尺・唐尺29.63㎝)、隋・唐小尺(滅亡時の南朝尺)の1.2倍(唐小尺が唐尺の起源かどうかは別問題)。

11.正倉院撥鏤尺(29.7㎝)、正倉院所蔵の撥鏤尺の長さ。

12.“奈良尺”29.48480.973×曲尺。

13.曲尺(10/33≒30.3㎝)、いわゆる「尺(かねじゃく)」です。

14.“関野貞高麗尺”35.64㎝)、正倉院撥鏤尺(29.7㎝)の1.2倍。

15.“浅野清高麗尺”35.9㎝)、法隆寺の金堂中央一間を「九尺」と推定して算出。

16“竹島卓一高麗尺”35.97㎝)、法隆寺の実測値から逆算(ご都合主義)。

17.薬師寺基準単位36.8561㎝)、“奈良尺”(29.4848㎝)の1.25倍。大岡實建築研究所が薬師寺金堂の復元に際して見いだした単位。

 

〖参考数値〗

A.黄鐘管の長さ(17.65㎝)、長沙古墳から完全な形で出土した十二音律一揃い笛のうち「黄鐘笛」の管の長さ。これは「ものさし」ではありません。

B.黄鐘笛長の10/9(19.61㎝)『漢書』律暦志に「度之九十分、黄鐘笛之長」、が一尺。『史記』律書にも。この「ものさし」の実物は存在しません。

 

 

《私見》

 新井宏氏がとなえた“古韓尺”は「26.7前後」らしい。前後」という目盛りが付いた「ものさし」に私はお目にかかったことがない。新井宏氏の古韓尺”は正倉院撥鏤尺(29.70㎝)の9割前後である。こういった“前後”という言われ方をしたくなければ26.7㎝だ、あるいは26.6㎝だとはっきりいうべきでしょう。そして、“古韓尺”であることを証明するときは、26.7㎝あるいは26.6㎝の何倍であるからとしなければならないのです。

 

“関野高麗尺”35.64㎝)は、正倉院撥鏤尺(29.7㎝)の1.2倍ですので、

新井宏氏が唱えている“古韓尺”は、“関野高麗尺”(35.64㎝)の3/4(0.75)倍で、正倉院撥鏤尺(29.7㎝)の9割です。

“古韓尺”=“関野高麗尺”(35.64㎝)×(3/4)={正倉院撥鏤尺(29.7㎝)×1.2(6/5)/4=正倉院撥鏤尺(29.7㎝)×(18/20)=正倉院撥鏤尺(29.7㎝)×(9/10)=正倉院撥鏤尺(29.7㎝)の9割

“高麗尺(長さが異なる3種類あり)”と“古韓尺”はどちらも古墳によく現れる尺度で建物には現れないと言われています(その真偽は不明)。これはどちらも、より小さな単位或いはより大きな単位によるものを見誤っているのだと思われます。

 

たとえば、より小さな単位の例として、開皇官尺・唐尺(29.63㎝)の3/10を一単位(8.889㎝)としてみると、“関野高麗尺”はこの4単位分(35.556㎝)前後、“古韓尺”は3単位分(26.667㎝)前後です。この一単位(8.889㎝)は、A.黄鐘管の長さ(17.65㎝)の約半分(8.825㎝)です。また、より大きな単位の例として、この10倍の長さ88.89㎝を一単位としてみると、“関野高麗尺”(35.64㎝)はこの4/10単位分(35.556㎝)前後、“古韓尺”は3/10単位分(26.667㎝)前後です。

 

 “高麗尺”や“古韓尺”の主唱者は、私の知る限りでは、これらの「相互関係には触れていない」ようです。「相互関係には触れていない」ということは、私の勉強不足によるのかも知れませんので、強く主張するつもりはありません。しかしながら、私の指摘した「相互関係がある」となれば、“高麗尺”や“古韓尺”の主唱者はその主張を見直しする必要があるのではないでしょうか。そもそもこれらは、創作した尺度なのですから。

 

薬師寺基準単位(36.8561㎝)は“奈良尺”29.4848㎝)の1.25倍(36.856㎝)、晋後尺(24.50㎝)は黄鐘笛長の10/9(19.61㎝)の1.25倍(24.5125㎝)。この1.25倍というのは逆から見ると、黄鐘笛長の10/9(19.61㎝)は晋後尺(24.50㎝)の8割(19.60㎝)です。

また、“奈良尺”29.4848㎝)は黄鐘笛長の10/9(19.61㎝)の約1.5倍(29.415㎝)です。

上記から、どちらが起源かという問題には一切関係なく、ダブルクオート(“”)でくくった仮想尺度・基準単位は既存尺度と密接な関係があると認められるのではないでしょうか。

 

魏尺・正始弩尺(24.30㎝)≒商尺・殷尺(17.00㎝)/0.724.2857㎝)、晋後尺(24.50㎝)黄鐘笛長の10/9(19.61㎝)/0.824.5125㎝)=黄鐘笛長の10/9(19.61㎝)×1.2524.5125㎝)というのも、少し気になります。

軌道要素(ケプラー要素ほか)

軌道要素(ケプラー要素ほか)

公転する天体の軌道・位置を定める[暦]

 

「軌道要素」とは、天体(太陽)の周囲を公転する天体(地球)の軌道を指定するために用いられる媒介変数(引数、パラメータ)のことです。

Photo

「黄道面」とは太陽の自転軸に垂直な平面(つまり太陽の赤道面)のことです。

「軌道面」とは惑星の公転面(惑星が太陽を回る軌道を含む平面)のことです。

「黄道面」と「軌道面」のなす角を通常iinclinationの略号)で表し、「軌道傾斜角」と言います。

 

ケプラー要素」と呼ばれるものがあります。

(1)軌道長半径 a……楕円軌道の長半径aです。

(2)軌道離心率 e……楕円の中心から焦点までの距離を軌道長半径aで割った値です。楕円の扁平具合を表わす数値です。

(3)軌道傾斜(角) i……太陽の赤道面と惑星の公転面との傾き(角度)です。

(4)昇交点黄経 Ω……昇交点(惑星軌道が黄道面の南側から北側に移動する際の、黄道面との交点)の黄道面における春分点()となす角度(∠・太陽・昇交点)をいいます。

(5)近日点引数 ω……惑星の軌道面において、惑星と太陽を結んだ線の太陽と昇交点を結んだ線の成す角度のことです。つまり惑星の軌道において昇交点を通過してから現在の位置までの角距離(移動距離を角度で表したもの)です。衛星(月)の場合は「近地点引数」といいます。〔ケプラー方程式θーe×sinθωt=2πt/Tにおける等速角速度ωと混同しないようにしてください

(6)近日点通過日時 T……近日点を通過してから現在の位置に至るまでの経過時間です。〔ケプラー方程式θーe×sinθω=2πにおいては小文字で表していたものです。周期Tと混同しないようにしてください。〕

 

以上の(1)~(6)が「ケプラー要素」と呼ばれている軌道要素です。

(1)軌道長半径a、(2)軌道離心率e、(6)近日点通過日時T

の三つは、先のブログ記事
地球の位置を求めるにはケプラー方程式
http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/05/post-a65f.html
で説明済です。

 

 そのほかの軌道要素として、次のものがあります。

近日点黄経[ω~](ωの上に~)……昇交点黄経Ωに近日点引数ωを加えたもの(近日点引数ωだけ昇交点黄経Ωを回転させると近日点黄経[ω~]になる)。

近日点距離q……惑星の楕円軌道が最も太陽に近づいた時の距離。q=a(1―e)。衛星(月)の場合は「近地点距離」といいます。

遠日点距離Q……惑星の楕円軌道が最も太陽に遠のいた時の距離。Q=a(1+e)。衛星(月)の場合は「遠地点距離」といいます。

周期P……惑星が軌道を一周して元の位置まで戻るまでの日時。〔先のブログ記事で、ωt=2πt/の式においては、で表していました。〕

平均運動n……軌道長半径aを半径とする真円軌道上を周期Pで等速運動する場合の平均角速度。〔先のブログ記事で、ωt=2πt/Tの式においては、ωで表していました。近日点引数ωと混同しないようにしてください。〕

元期……軌道要素の値が何時の時点のものなのかを明示したもの。通常はJD(ユリウス通日)で表す(例:J2000.0)。

平均近点角M……近日点と楕円軌道原点(焦点ではない)と平均運動をしている仮想天体の位置とが成す角度のこと。M=n×T。〔先のブログ記事では、M=ω=2πt/Tと表わされていました。この平均近点角の値でケプラー方程式を解き、その値から真近点角(太陽から見た地球の位置を表わす角度)を求めました。〕

以上が「軌道要素」です。これで天体の軌道と位置を求めることができます。

2018年5月14日 (月)

暦とケプラー方程式

暦とケプラー方程式

平均離心近点角MとJD(ユリウス日)[暦]

 

先のブログ記事

地球の位置を求めるには―ケプラー方程式―

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/05/post-a65f.html

において、太陽を焦点Fに置く楕円軌道上を移動する地球の真近点角v(太陽からみた地球の位置を近点からの角距離で表すもの)を、楕円軌道の長半径aを半径とする真円軌道を等角速度ωで運行(平均運動)する仮想天体の平均離心近点角をもとにして、ケプラー方程式を微分的に解いて、その解から真近点角vを求める方法を説明しました。

 

 中国の暦法やわが国の暦法を勉強するためだけなら知る必要はないのですが、実際に天体の天球上の位置がどのような方法で求まるのかを知っておくことは暦法を深く理解しようとする際には役に立つ(私には役立ちました)と考えてご紹介しています。そんなことに興味がなければ、先のブログもともに飛ばしてください。

 

次は、J2000.0(西暦2000年の元旦正午(UT:世界時)JD2451545.0)のデータから太陽と月の位置を計算する式です。

先のブログ記事で説明した用語が青字の部分です。位置を計算する時には使わざるを得ません。ほかに軌道要素を表わす用語も登場しますが、次の機会に説明する予定です。

 

 

ユリウス世紀=36,525

J2000.0JD2451545.0(ユリウス通日)

J2000.0のユリウス世紀数=67.11964408〔ユリウス通日をユリウス世紀を割ったもの〕

検証日のユリウス世紀数=検証日のJD/36525

〔近点から天体の位置を示す角度は「近点角」とも「近点離角」とも言ったりします。あまり気にしないでください。〕

 

朱字で書いてあるのがJ2000.0(JD2451545.0)時点のデータです。

Power(10,7)というのはExcelの関数で10のー7乗を表わします。PI()は円周率です。

T=経過ユリウス世紀数、d=J2000.0からの積日

 

〖月〗

恒星月(自転周期)27.321661552.00*Power(10,7)*

分点月(春分点周期)27.321582251.70*Power(10,7)*

朔望月(盈ち虧け)29.530588862.30*Power(10,7)*

近点月(近地点周期)27.554549881.02*Power(10,6)*

交点月(昇降点周期)27.212220824.00*Power(10,7)*

月の楕円の向きの変化周期=8.85040(不変)

〖太陽〗

恒星年(地球-月重心)365.256363001.20*Power(10,7)*

太陽年(回帰年)365.242190406.15*Power(10,6)*

近点年(近日点周期)365.259635843.12*Power(10,6)*

近地点(=楕円長軸)順行周期=360/(J2000近点年365.25963584J2000恒星年365.25636300)109,996.2

交点年(月の平均軌道昇降点に対する周期)346.620075863,239*POWER(10,5)

平均黄経L360°の余)MOD(280.4665+(360/太陽年(回帰年)*d+0.0003**,360)

近地点黄経 ω~=MOD(282.93730.00004708*d+0.0005**,360)

軌道離心率 e=0.0167090.000042*

平均近点離角MMOD(360+平均黄経L360°の余)-近地点黄経 ω,360)

近日点移動角距離(日当り)=360/近点年(近日点周期)

近日点通過後日数 t=平均近点離角M/近日点移動角距離(日当り)

遠地点通過後経過日数=近日点通過後日数t-近点年(近日点周期)/2

離心近点離角E=?☚代数的に解けない〔先のブログ記事をご覧ください〕

真近点離角V180*(2*ATAN(SQRT((1+軌道離心率 e)/(1-軌道離心率 e))*TAN(RADIANS(離心近点離角E)/2)))/PI()

黄経引数ω=近地点黄経 ω~+真近点離角V

 

 

私は上記式からJD0.0(ユリウス上元日正午)のデータを逆算しました。利用できるかどうかまだ検証していません。

 

J2000.0定数から逆算したJ0.0の定数d=JD

〖月〗

恒星月(自転周期)27.32164812607122.00*Power(10,7)*T

分点月(春分点周期)27.32157083966051.70*Power(10,7)*T

朔望月(盈ち虧け)29.53057342248192.30*Power(10,7)*T

近点月(近地点周期)27.5546183420371.02*Power(10,6)*T

交点月(昇降点周期)27.21219397214244.00*Power(10,7)*T

月の楕円の向きの変化周期=8.85040(不変)

〖太陽〗

恒星年(地球-月重心)365.2563549456431.20*Power(10,7)*T

太陽年(回帰年)365.2426031858116.15*Power(10,6)*T

近点年(近日点周期)365.259426426713.12*Power(10,6)*T

近地点(=楕円長軸)順行周期=360/(J0.0近点年365.25942642671J0.0恒星年365.256354945643)117,207.299040517

交点年(月の平均軌道昇降点に対する周期)344.4460705882683,239*POWER(10,5)*T

平均黄経L360°の余)MOD(240.262703760896+(360/ 365.242603185811*0.0003*T*T,360)

近地点黄経 ω~=MOD(165.2660380893270.00004708*d+0.0005*T*T,360)

軌道離心率 e=0.01952802505133470.000042*T

平均近点離角MMOD(360+平均黄経L360°の余)-近地点黄経 ω,360)

近日点移動角距離(日当り)=360/近点年(近日点周期)

近日点通過後日数 t=平均近点離角M/近日点移動角距離(日当り)

遠地点通過後経過日数=近日点通過後日数t-近点年(近日点周期)/2

離心近点離角E=? 代数的に解けない

真近点離角V180*(2*ATAN(SQRT((1+軌道離心率 e)/(1-軌道離心率 e))*TAN(RADIANS(離心近点離角E)/2)))/PI()

黄経引数ω=近地点黄経 ω~+真近点離角V

「九州王朝の『東大寺』」考(3)

「九州王朝の『東大寺』」考(3)

「國府寺式伽藍配置」は塔が外[妄想]

 

 妄想というのは始末が悪いことに、一度始まると次から次へと暴走する性質があります。今回は、塔を回廊(内郭区画)内に置く「古式寺院」と塔を回廊(内郭区画)外に置く「新式寺院」について妄想してみました。「新式寺院」といっても伽藍配置(様式)でみれば、いわゆる“国分寺式伽藍配置”と総国分寺である東大寺の伽藍配置、そして誤認された無かった伽藍配置“大安寺式伽藍配置”しかありません。

 

 飛鳥寺、縦型の「山田寺式」「四天王寺式」「平城京と書き間違ったのを訂正:藤原京)大官大寺式」、横型の「法隆寺式」「法起寺式」「観世音寺式」、そして双塔の「薬師寺式」の伽藍配置はすべて「古式寺院」なのです。〔「(藤原京)官大寺」は天武天皇が「高市大寺」を改名した大寺(官寺)です。〕

 

 つまり、大安寺・東大寺どちらが起源かを別として、“大安寺式伽藍配置”というのは双塔を内郭区画外に置く「東大寺式伽藍配置」を誤認したものに過ぎなかったわけですから、「新式寺院」というのは、双塔と単塔の区別をしないで、総国分寺東大寺を含めれば“国分寺式伽藍配置”の寺院だけということになっています。

 さらに、この唯一の「新式寺院」である“国分寺式伽藍配置”は、中門から出た回廊が金堂両妻に取り付いている伽藍配置です。回廊(内郭区画)は「金堂前庭」を囲っているだけなのです。私はこれを伽藍配置形式としての名称を「金堂前庭院形式」、この形式の伽藍中枢を「金堂前庭院」と呼んでいます。回廊(内郭区画)が「金堂」を囲っている「金堂院形式」と区別するためです(こう呼べと言う意図は全くありません。どう呼ぼうと皆さんの自由です)

 

 これは少し不自然ではありませんか?

 

 塔と金堂を回廊(内郭区画)で囲った「古式寺院」からいきなり塔も金堂も回廊(内郭区画)外に放擲した「新式寺院」に移行してしまったことになります。

 

 塔は仏舎利を祀っているのですが、次第に寺院の装飾的伽藍と化していった傾向がみられます(単塔から双塔へなど)。ですから、塔が回廊(内郭区画)外に出されても金堂は回廊内に残る段階があってしかるべきではありませんか。つまり、伽藍配置様式の変遷過程として「新式寺院」の内の「金堂が回廊内、塔が回廊外」という伽藍配置の段階が欠落していると考えるのが自然です。この変遷段階は「古式」から「新式」に移行した直後なのですから、多分に「古式寺院」の形式を残した特徴が見られるだろうという予測が立ちます。「2:3の区画比」、「南大門と中門の間が狭い」などです(「必ず」・「すべて」という意味ではありません)

 

 「国分寺」が「九州王朝の国府寺」を真似たものだとしたならば、

 

「新式寺院」は九州王朝の「國府寺式伽藍配置」に始まっていた[妄想]

「國府寺式伽藍配置」は「回廊内に金堂を、回廊外に塔を置く新式の伽藍配置」であった。

 

2018年5月13日 (日)

地球の位置を求めるには

地球の位置を求めるには

―ケプラー方程式―

 

 天球上の太陽の位置を求めるには、太陽から見た地球の位置を求めることと同値です。

 では、どうやって求めたら良いでしょうか。

 

 ケプラーの法則(惑星の楕円軌道に関する法則)はご存知ですよね。

第一法則:楕円軌道の法則……惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道を描く

第二法則:面積速度一定の法則……動径(惑星と太陽を結ぶ線分)は一定時間に常に一定面積を描く

第三法則:調和の法則……公転周期の2乗と太陽からの平均距離の3乗とは比例する

 

次の図をご覧ください。
Photo_2
点Oが座標原点です。

点Fが楕円軌道の焦点です。今、地動説で説明しますとFに太陽があります。

点Pに地球があります。

aが楕円の長半径、bが楕円の短半径、rが動径です。

∠XFP=v、角度vが真近点角(太陽から見た地球の位置を表す角度)です。

赤い円は長半径aを半径とする真円軌道です。

点Pを通るY軸に平行な直線がX軸及び真円と交わる点をそれぞれP1,P2とします。

∠XOP2=E、角度Eを離心近点角といいます。

 

つまり、地球の位置を求めるということは真近点角vを求めることです。

 

しかし、この真近点角vを直接求めることは少々厄介なのです。

そこで、頭の良い方が迂回戦術を考え出しました。どういう方法かといえば、楕円軌道から直接計算しないで、半径aの真円軌道上を等速度で運行する仮想天体を利用することにしたのです。

 この仮想天体の公転周期をTとしますと、円の一周角度は2πですから角速度ω(一定)は次の式になります。

 

ω=2π/T

 

すると都合が良いことに次の式が成り立っていました(というのは逆でこの式がわかっていたから真円軌道上を等速度で運行する仮想天体を考えたのです)。

 

θーe×sinθ=ωt=2πt/T

(eは楕円軌道の離心率:線分OFを長半径aで割ったもの、tは近点を通過してからの経過時間(日数)、θは離心近点角)

 

今、この平均角速度で真円上を移動する(「平均運動」とも呼ぶ)天体の位置は、角度Mで表わすと、次のようになります。

 

ωt=M=Eーe×sin〔☚ケプラー方程式です〕

 

経過時間tに角速度ωを乗じればMが求まるのですから、M=uーe×sin(u)〔☚ケプラー方程式です〕をuについて求めれば良いのです。そのuが求まれば次式によって真近点角v(太陽から見た地球の位置を表す角度)が求まります。

 

tan(/)=√((1+e)/(1ーe))*tan(/)〔☚この式は点Pの座標値と動径rから導出することができますが、ただ式を変形するだけの数式の羅列になるだけですので、省きます〕

 

「めでたし、めでたし」と言いたいのですが、実は、M=uーe×sin(u)〔☚ケプラー方程式〕代数的に解くことができない方程式なのです。

 

そこで微分的にΔuを想定してその差分Rを求め、更にRが0(ゼロ)に近づくように調整する方法でuをEXCELで求めています。意外にあっけなく収束してしまいます。

「20180513.xlsx」をダウンロード

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