2018年7月18日 (水)

講演会準備(7月18日)

講演会準備(7月18)

作画のない準備作業[作業日記]

 

 「馳道」の想像図が終ったので「直道」から始めた。やっと「軍用道路」の話になる。つまりこれまでは「軍用道路」の話はしていなかった。ところが、いざ「軍用道路」の話になると図が登場しない。道路の図版をいれたところで「軍用」が描かれたわけではないから。勢い「語り」になってしまう。「騙り」にならないか心配だ。()☚肥さんならこう書くだろう

 まずは、「直道」の説明
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始皇帝の軍用道路「直道」

 蝦夷の領域を手中にするため東北地方はフロンティアになっている。つまり最前線である。最前線はいつ戦いが起きてもおかしくない。こういう場所を普通の農民が耕作するわけがない。常時兵士を置いておかないと取り返される領域だ。兵士も食べなくてはならない。他から調達しつづければ何のために土地を手に入れたかわからない。三国時代の話だが実り豊かな土地なら一人が一年間耕作すると百石(ひゃくせき)の穀物収穫高だという。これは二十ヶ月分の食糧に相当するという。つまり八ヶ月分の余剰生産物が得られるのだ。だから「屯田」(兵士が耕作する)から年間収穫高の40%が備蓄できることになる。これなら土地を手に入れれば入れただけ富を増やすことができる。

 なお、先の「馳道」のブログ記事で張良(子房)が雇った暗殺者が120斤の鉄槌を投げたと書いたが、これが重量の単位「一石(いっせき)である。「鈞四謂之石」(『孔叢子』)、「四鈞為一石」(『淮南子』)とあり、一鈞=30斤なので一石=120斤、つまり張良(子房)が雇った暗殺者が投げた鉄槌の重量は一石だった。もし、漢代の「斤」と張良の時代の「斤」が同じであれば一斤≒258gなので一石=30960g≒31㎏、すなわち、張良(子房)が雇った暗殺者蒼海公の投げた鉄槌は31㎏だったことになる。

 なお、容積の単位「一石(いっこく)は、寛文九年(1669)の新京枡一升(0.49尺×0.49尺×0.27尺=0.064827立方尺=1.8039リットル)の100倍なので、一石=6.4827立方尺≒180.39リットルです。船の積載量の一石は、10立方尺≒278リットルとしています。

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フロンティアの東漸と屯田・邸閣・官道

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屯田制の起源

戦争の及ぼす影響の深さがわかります
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長期にわたる戦争と人口激減

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屯田制のまとめ

こんな説明()を書いているWikipedia編集者の顔が見たい
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従来説1(
Wikipedia) では「道」は説明不能

正しい説明はこうだ
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「道(従来説1
)」を「軍管区」で説明

↓これが「貞観十道」・「開元十五道」の説明なのか?
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従来説2(
Wikipedia) では「道」は説明不能

正しい説明はこうだ
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「道(従来説2
)」を 「軍管区」説で説明

 

Wikipedia編集者に物申す。わからない場合は説明を書かないか、「わからない」と書くべきではないか?

今日はこれくらいでWikipediaを許してあげよう。

2018年7月17日 (火)

始皇帝の「馳道」の幅は70m!

始皇帝の「馳道」の幅は70m!

始皇帝の巡幸に必要な理由[妄想]

 

 漢の劉邦に仕えた軍師張良(子房)が、韓の滅亡後、家の資産全部を売り払って、秦の始皇帝を暗殺しようとした。張良が目をつけたのが始皇帝の巡幸だった。蒼 海公という怪力の男に120斤の鉄槌を白狼砂という所で始皇帝の乗る「轀(おんりょうしゃ)」に投げつけさせた。鉄槌は侍従の車を砕いただけで暗殺は失敗した。始皇帝が斉を滅ぼして天下を統一した(紀元前二二一年)後、張良が劉邦に仕える前の紀元前二一八年頃の話である。

 このように暗殺される危険があるので、馳道は三分割され、中央の皇帝専用馳道の両脇には壁(土塁)が築かれ、両脇の馳道は護衛部隊が行軍するようになっていたという。中央馳道にはところどころに門があって両側と接続するようになっていたようだ。

 壁(土塁)を築いているのは、張良が計画したように鉄槌などを投げられたり、弩で攻撃されたりするのを防ぐためである。両側に護衛部隊が行軍しているのだから始皇帝がどのへんを移動しているのかはわかっただろうが、攻撃は容易には当たらないようになっている。

 次の図は三分割されていたという「馳道」の復元想像図である。中央の紫色に塗った道が皇帝専用馳道、土塁の両端が護衛部隊が行軍する馳道である。

70m-4×2m(側溝) -3×15m(三分割された馳道の想定幅)=17m

17÷2=.5m(推定土塁幅)〔この推定値はすべて妄想によるものです〕

前畑土塁の底辺幅13.5mと比べればすこし薄いような感じがしますが、こんなものでも奇襲攻撃を一時的には防ぐことはできるでしょう。

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石碑 対 墓石 どちらが強い?

石碑 対 墓石

どちらが強いか[妄想]

 

肥さんの夢ブログ

ある石碑

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/07/post-b737.html

 

 こういうことを張り合おうというのが子供じみているが性分なので仕方がない。

「石碑 対 墓石」の勝負である。
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肥さんのコメントに回答したことによる追加(2018/07/17)

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ものすごく大きな正二位大久保(利通)公の墓

(写真では大きさが分からないかもしれませんが、
立っている私が仰角で撮っています。)


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大きくない乃木将軍のお墓
(ご覧のように伏角で撮っています。)

2018年7月16日 (月)

播磨国分二寺の伽藍配置

播磨国分二寺の伽藍配置

頒下「国分二寺図」最有力候補[多元的「国分寺」研究]

 肥さんが「企画展 播磨国分寺」のパンフレットを入手してくれた。実際は僧寺の北に尼寺があるのだが、同一スケールでパンフに掲載されていたので、真横に並べて描いてみた。まだ僧寺と尼寺の伽藍配置の相関関係を分析してはいないのだが、播磨国分僧寺が東大寺をモデルとして頒下された「国分二寺図」によって新造された国分寺と推定したので、尼寺もそうであろうと考えた。つまり、これが「頒下『国分二寺図』」の伽藍配置と思われる。

 眺めただけで整った伽藍配置であることがわかる。「国分寺式伽藍配置」とは播磨国分二寺の伽藍配置だと言っても良いだろう。裏を返せば、播磨国分二寺以外は、「改造国分寺式」または「偽装国分寺式」の伽藍配置である。

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実際の僧寺と尼寺の位置関係

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横に並べて描いた播磨国分二寺の伽藍配置

 

2018年7月15日 (日)

武蔵国分寺「参道口門柱状遺構」

武蔵国分寺「参道口門柱状遺構」

どんな推定図でも「鳥居」の影[多元的「国分寺」研究]

 

肥さんが「武蔵国分寺」をまた訪ねられた。

肥さんの夢ブログ

武蔵国分寺の参道口 7/15

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/07/post-3ea6.html

その写真のなかに「参道口門柱状遺構と道路跡」という現地説明板があった。なんと、その復元推定図は柱が二本立っているだけであった。横木を差し渡してあると「鳥居」に見えやすいからだろうと勝手な想像をした。

 しかし、柱が二本立っているだけであろうと、長野県長和町「豊受大神宮」の古式鳥居があり、この二本の柱を無かったことにでもしなければ、どこまでいっても「鳥居」の影は背後霊の様に纏わりついて離れないであろう。

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長野県長和町「豊受大神宮」の古式鳥居

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現地説明板の復元図の模写図(正確には夢ブログをご覧ください)

2018年7月14日 (土)

講演会準備(7月14日)

講演会準備(714日)

PowerPoint画面続々[作業日記]

 

作り出すと面白くなるのがPowerPointだ。PowerPointにおさまりが良いように図などは修正する必要がある(横長がいい)。いくつか作ったなかからご覧いただこう。決定したものではなく、単なる試作品だ。
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「五畿七道」のまとめ

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南海道の付け替え図も手を入れた

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話す内容を事前告知

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そのまとめ

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冒頭画面も補完論文を加えて見直した

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西海道の図も入れてみた

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南海道は台湾島を目指す

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正方位白地図で東海道

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九州王朝説の古代官道研究の指針(ガイドライン)

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官道と山城も大きめに

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「東山道十五國」初期比定図も新しく

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「十五国」でもこのようなものも

2018年7月12日 (木)

サンキュータツオ著『ヘンな論文』

図書紹介『ヘンな論文』

塚本浩司先生の師匠が板倉聖宣先生

 

 サンキュータツオさんはその著書『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』を読んで以来、私はファンになりました(芸人としては知りませんが)。サンキュータツオさんの推薦する森田良行著『基礎日本語辞典』シリーズはブログ記事中で既に何度も紹介しています。なぜファンかと言えば、サンキュータツオさんの言葉に強い共感を覚えるからです。

 

映画「風のたより」考(その2)―『どうせ』の意味を考える―

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2017/07/post-eac2.html?no_prefetch=1

(第一弾は『気持ちをあらわす「基礎日本語辞典」』、第二弾は『違いをあらわす「基礎日本語辞典」』)

 

素晴らしい『基礎日本語辞典』―サンキュー!サンキュータツオさん―[学問資格]

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-af16.html

(第三弾は『時間をあらわす「基礎日本語辞典」』、第四弾は『思考をあらわす「基礎日本語辞典」』)

 

サンキュータツオ著『ヘンな論文(KADOKAWA、角川文庫 さ70-2、平成291129日、ISBN978-4-O4-400334-0 0195) これは不覚にも文庫化を見落とし、その間に版を重ねて、既に3版となっていました。
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 今回紹介する動機の一つは、次の言葉に共感したことです。

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〔前略〕日常に潜む「謎」を見つけること、「問いを立てる」ことの大切さを教えてくれた点だ。これこそが、問を学ぶと書く「学問」のキモなのである。〔後略〕

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 もう一つの動機は、肥さんの二刀流(古田武彦さんと板倉聖宣さん)の一刀である板倉聖宣さんのお名前が「コーヒーカップの音の科学」のコラム「Column.4 塚本先生訪問記」で登場するからです。つまり肥さんを喜ばして木に登らせようという魂胆です。

 

「コーヒーカップ」の音の科学
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五本目 「コーヒーカップ」の音の科学 

高校生のOさんという女子生徒が「コーヒーカップにインスタントコーヒーの粉末を入れ、お湯を入れてスプーンでかき混ぜると、スプーンとコップのぶつかる音が、徐々に高くなっていく」ことに気付き、そこから塚本先生とOさん実験がはじまり、録音した音を「フーリエ変換」して「周波数特性」を測定したりして原因の探求が始まる。
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探求のきっかけのページ

 お湯(カップの温度変化)、インスタント味噌汁・カルピス(粘度の高い液体)、インスタントココア(粉末)、紅茶のティーバッグ(茶葉小片)、砂糖・塩(結晶)と試して、「容疑者」は粉末となった。入浴剤(非飲料粉末)でも起きた。どうして粉末だと起きるのか。粉末内に含まれる「気泡」の疑いがでた。「コーラ」をスプーンでかき回したら起きた。炭酸水素ナトリウム入入浴剤(気泡を発生する)でも起きた。「気泡」が犯人だと確定された。

 ところが、1969年カリフォルニア大学で「コーラ」ではなく「ビール」で実験していたアメリカの論文が存在した。掲載はケンブリッジ哲学会報誌、彼らの所属は地球物理学・惑星物理学研究所だったそうだ。ただ、実際に音を録音して音程を計測した論文としては世界初だった(カルフォルニア論文は音程計測まで数値化していなかった)

 次は「Column.4塚本先生訪問記」だ。ここで塚本浩司先生の師匠が板倉聖宣(きよのぶ)先生であることが書かれている。サンキュータツオさんと塚本浩司先生とはその後も親交が続いているという。
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 読み進めながら書いているので遅くなったが、次の言葉も強く共感した
(P.178より)

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学問は科学なので、本来ならば理系も文系もない。

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流石!私のサンキュータツオさんである。

 

最期は恒例の目次紹介画像です。
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「マヨラナ粒子」の実証

「マヨラナ粒子」の実証

これでも「実証」ではない?[学問・資格]

 

 理論上存在すると予言された(「論証」された)粒子が現れたと考えないと説明がつかない現象を観測したことが「実証」(具体的事実を示した証明)だというのです。「実証」というものを考える「たし」になる記事です(朱字下線は私による)。

デジタル毎日

https://mainichi.jp/articles/20180712/ddm/012/040/076000c

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マヨラナ粒子

実証 同じ動き観測 京大グループ

毎日新聞2018712日 東京朝刊

社会>科学・技術>サイエンス>紙面掲載記事

 

 80年以上前に存在が予言された幻の「マヨラナ粒子」が実際に存在することを世界で初めて実証したと、京都大などのグループが12日付の英科学誌ネイチャーに発表した。電気を通さない固体の中で、電子がマヨラナ粒子のようにふるまう現象を観測したという。将来的には量子コンピューターなどへの応用が期待される。

 

 マヨラナ粒子は、粒子とも反粒子とも区別のつかない「幻の粒子」と言われ、1937年にイタリアの物理学者、エットーレ・マヨラナが理論的に存在を予言した。電気を帯びず極めて質量の小さな素粒子「ニュートリノ」がその本命と考えられているが、証明には至っていない。

 

 笠原裕一・京大准教授(物性物理学)らは、東京工業大のチームが合成した磁性絶縁体「塩化ルテニウム」を用い、その内部を伝わる熱の流れが磁場によってどの程度曲がりやすくなるかを、磁場を変化させながら測定した。

 

 その結果、ある範囲の磁場では、磁場や温度を変えても、曲がりやすさの値が普遍的な値の2分の1で一定になった。熱を運ぶ粒子が電子の半分の自由度を持っていることを意味し、そのような性質があるマヨラナ粒子が現れたと考えないと説明がつかないという。【菅沼舞、阿部周一】

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2018年7月11日 (水)

講演会準備(7月11日)

講演会準備(711日)

PowerPointは便利[作業日記]

 

 講演会のスライドショーを直前に作成するのは不安だったので、PowerPointを使ってみた。

Visioは使い慣れているがPowerPointでプレゼンを作成するのは初めての経験だからだ(ISO監査だって、システム図は書きますが、プレゼンするということはないのです)

 縦長の日本列島地図が横長画面では小さくなるのが心配だった(Wordの横ではかなり縮小しないと収まらなかったから)。ところがPowerPointはおりこうさんで、画面(縦方向)いっぱいまで自動的に収めてくれる。これがわかっただけで一安心だ。十画面ほど作ってみて作成する自信ができた。あとは、時間配分通りの説明に仕立てるだけだ。

 PowerPoint画面を作ってみると、文章だけのときより、より詳しく説明すべきことや省いてよいことが見えてくるから不思議だ。切り替え画像がもたらすイメージは、文章とはまた異なるものがあることもわかってきた。他人のPowerPointでのプレゼンは飽きるくらい見ているのだが、自身でプレゼンを作るのは見るのとは違った楽しさがあることもわかった。画面が切り替わるというのはブログ記事とは違った面白さがある。なんというか、例えば映画をつくる疑似体験というような感じだろうか。ストーリーを映像化していくという感じが同じように思えるのだ。スライドショーも映画と同じで、脚本が面白くないとおもしろい映画にはならないだろうから、ストーリーはよく練る必要がある。最初から満足するものはできないだろうから、作っては見直すという繰り返しが大切だと思う。早めに取り組むことが大事だ。ともかく、早めにPowerPointを触ってみたのは正解だった

作った画面のスクリーンショットをいくつかご覧いただこう(全部ではネタバレです)
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私の講演冒頭 画面

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国名入「令制五畿七道図」 画面

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蝦夷の領域 画面

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『延喜式』による勅旨牧の数 画面

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「五畿七道の謎」冒頭 画面

図書紹介『古生物学者、妖怪を掘る』

図書紹介『古生物学者、妖怪を掘る』

真似っ子sanmaoの学説分類[書籍論考等の紹介]

 

荻野慎諧(おぎのしんかい)著『古生物学者、妖怪を掘る 鵺の正体、鬼の真実』(NHK出版、NHK出版新書5562018(平成30)年7月10日、ISBN798-4-14-088556-7 0245
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 著者はウィットとユーモアにあふれる話術で「古生物学」という何だか分からない学問に
(失礼!)ぐいぐい引き込んでいく。「科学リテラシーと創造科学」(P4243)を画像でお読みください(打ち込みを横着してます、画像はクリックで拡大表示されます)
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 たしかに、創造科学の「神がそのように、お定めになったからだ」は、実にシンプルで圧倒的な説得力を持っており、異論を挟む余地は全くありません。

 ただ、唯一の問題点は「なぜだろう?」と考えることが禁じられていることです。

「禁じられていない」と言うのですか?いえ「禁じられている」のは明らかです。

 

「神がそのように、お定めになったこと」→「それを何故かと考えるのは無駄なこと」→「無駄なことを敢えてするのは神がお定めになったということを疑っていること」→「そんな奴は神を信じない異端者」→「異端者になりたくなければ何故かと考えるな(禁止)」(異端者になると火炙りの刑に処せられます)。この状態を「禁じられていない」というのは詭弁です。

 

 私は「神さまがいらっしゃること」と「なぜかと考えられること」とどちらをとるかと問われたら、迷わず「なぜかと考えられること」を選びます。その理由は単純で、「神さまがいらっしゃること」より「なぜかと考えられること」の方が楽しく生きられるからです。

 

 もうひとつ、この本にはとてもためになることが紹介されていました。哲学館(現:東洋大学)を創った「妖怪博士」として知られている仏教哲学者の井上円了氏(元・哲学館大学学長、辞職後に哲学堂を建設)の「妖怪分類」です。
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井上円了の妖怪分類

 この分類は汎用性があり極めて強力です。私はこの分類表を真似て「学説分類表」をつくってみました。
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真似っこ
sannmaoによる井上円了式「学説分類」
(私のブログ画像は全て、クリックすると拡大表示されます)

恒例の画像「目次」です(今後も「目次」は画像で紹介します)
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«武蔵国分寺「鳥居の柱」が示すもの

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