« 『古事記』は口伝採録ではない ―稗田阿禮は人間バックアップ装置― | トップページ | 気候変動と弥生時代の始まり ―James Macさまの論考のご紹介― »

2017年8月29日 (火)

日の神論争~天照大神が照らした範囲 ―『記・紀』では「皆既日食の範囲」―

日の神論争~天照大神が照らした範囲

―『記・紀』では「皆既日食の範囲」―

 

 

「肥さんの夢ブログ(中社)」2017827 ()

日の神論争~アマテラスが照らした範囲は?

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/08/post-a832.html
という記事が掲載されていました。コメントも含め次の通りです(改行は除去)。

…………………………………………………………………………………………………………

何か調べたりすると,その「副産物」として,

いろいろな知見が得られるものである。

昨日の砂川恵伸さんの調査の中で,「衝口発」ということばが出てきたが,

その作者・藤貞幹や上田秋成と本居宣長には論争があったという。

アマテラスは地上を照らしたというが,それはどの範囲なのか。

世界中なのか。アジアなのか。日本だけなのか。

あなたはどう思いますか。

そして,論争の結果は?

…………………………………………………………………………………………………………

肥さんへ

『記・紀』によってかんがえれば、

「日食で真っ暗闇になる程度の範囲」だったと思います。

投稿: 山田 | 2017828 () 16:05

…………………………………………………………………………………………………………

山田さんへ

コメントありがとうございます。

江戸時代にも,いろいろな「古代史論争」があったようです。

確かに日食で真っ暗になる範囲は,狭いですね。

投稿: 肥さん | 2017828 () 21:49

…………………………………………………………………………………………………………

肥さんへ

私のような回答では「つまらない」かも知れません。

しかし『記・紀』に忠実に解釈するとそうなるのは事実です。

『記・紀』にどう書いてあるかに関係なく願望を展開する

本居宣長流の人に付き合うわけにはいきません。

『記・紀』に書いてある通りに受け取れば、

答えは「皆既日食になる範囲」なのです。

読者のみなさん、話をつまらなくしてごめんなさい。

投稿: 山田 | 2017829 () 00:15

…………………………………………………………………………………………………………

山田さんへ

コメントありがとうございます。

いえいえ,真実を探求するのが歴史学なわけですから,

面白いか面白くないかが大切なのではありません。

読者の皆さんも,きっと,「へ~,そんなに狭い範囲なんだ。

面白~い」と思われたと思いますよ。

投稿: 肥さん | 2017829 () 02:47

…………………………………………………………………………………………………………

 

ブログ部屋主である肥さんからは暖かい反応をいただきましたが、「皆既日食になる範囲」だという根拠を示していないことが気になりましたので、『古事記』および『日本書紀』の該当記事を掲載しておきます。日の神がお隠れになってこの世が暗くなったのですから、闇になる範囲が「この世(六合、日の神が照らす範囲)」なわけです。

 

気になったのは、『記・紀』ともに「葦原中國」と言っているところです。これは「国譲り」(素戔嗚尊→天照大神)を強く意識した神話に仕立てられているのだと思います。もう一つ面白いのは、天照大神と言えども、後ろに結界(注連縄)を張られると天石窟に戻れなくなるということです。

 

…………………………………………………………………………………………………………

【『古事記』より該当部分を抜粋】(先に訓読文、後に原文を掲げます。)

〔前略〕

3須佐之男命の勝さび

ここに須佐之男命、天照大御神に白ししく、「我が心清く明し。故、我が生める子は手弱女を得つ。これによりて言さば、自ら我勝ちぬ。」と云して、勝さびに、天照大御神の營田の畔を離ち、その溝を埋め、またその大嘗を聞しめす殿に屎まり散らしき。汝、然爲れども天照大御神は咎めずて告りたまひしく、「屎如すは、醉ひて吐き散らすとこそ、我が汝弟の命、かく爲つらめ。また田の畔を離ち、溝を埋むるは、地を惜しとこそ、我が汝弟の命、かく爲つらめ。」と詔り直したまへども、なほその惡しき態止まずて轉ありき。天照大御神、忌服屋に坐して、神御衣織らしめたまひし時に、その服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入るる時に、天の服織女見驚きて、梭に陰上を衝きて死にき。

4天の岩屋戸

故ここに天照大御神見畏みて、天の岩屋戸を開きてさし籠りましき。ここに高天の原皆暗く、葦原中國悉に闇し。これによりて常夜往きき。ここに萬の神の聲は、さ蠅なす滿ち、萬の妖悉に發りき。ここをもちて八百萬の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日神の子、思金神に思はしめて、常世の長鳴鳥を鳴かしめて、天の安の河の河上の天の堅石を取り、天の金山の鐵を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて、伊斯許理度賣命に科せて鏡を作らしめ、玉祖命に科せて、八尺の勾璁の五百箇の御統の珠を作らしめて、天兒屋命、布刀玉命を召して、天の香山の眞男鹿の肩を内抜きに抜きて、天の香山の天の朱櫻を取りて、占合ひまかなはしめて、天の香山の五百箇眞賢木を根こじにこじて、上枝に八尺の勾璁の五百箇の御統の玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取り繋け、下枝に白和幣、青和幣を取り垂でて、この種種の物は、布刀玉命、太御幣と取り持ちて、天兒屋命、太詔戸言禱き白して、天手力男神、戸の掖に隠り立ちて、天宇受賣命、天の香山の天の日影を手炊に繋けて、天の眞析を鬘として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の岩屋戸に槽伏せて蹈み轟こし、神懸りして、胸乳をかき出で裳緒を陰に押し垂れき。ここに高天の原動みて、八百萬の神共に咲ひき。

 ここに天照大御神、怪しと以爲ほして、天の岩屋戸を細めに開きて、内より告りたまひしく、「吾が隠りますによりて、天の原自ら闇く、また葦原中國も皆闇けむと以爲ふを、何由にか、天宇受賣は樂をし、また八百萬の神も諸咲へる。」とのりたまひき。ここに天宇受賣白ししく、「汝命に益して貴き神坐す。故、歡喜び咲ひ樂ぶぞ。」とまをしき。かく言す間に、天兒屋命、布刀玉命、その鏡を指し出して、天照大御神に示せ奉る時、天照大御神、いよいよ奇しと思ほして、稍戸より出でて臨みます時に、その隠り立てりし天手力男命、その御手を取りて引き出す即ち、布刀玉命、尻くめ繩をその御後方に控き度して白ししく、「これより内にな還り入りそ。」とまをしき。故、天照大御神出でましし時、高天の原も葦原中國も、自ら照り明かりき。

ここに八百萬の神共に議りて、速須佐之男命に千位の置戸を負せ、また鬚を切り、手足の爪も抜かしめて、神逐らひき。

〔後略〕

【『古事記』原文】

爾速須佐之男命、白于天照大御神、我心清明。故、我所生子、得手弱女。因此言者、自我勝云而、於勝佐備〈此二字以音。〉離天照大御神之營田之阿〈此阿字以音。〉埋其溝、亦其於聞看大嘗之殿、屎麻理〈此二字以音。〉散。故、雖然爲、天照大御神者、登賀米受而告、如屎、醉而吐散登許曾。〈此三字以音。〉我那勢之命、爲如此。又離田之阿、埋溝者、地矣阿多良斯登許曾。〈自阿以下七字以音。〉我那勢之命、爲如此登。〈此一字以音。〉詔雖直、猶其惡態不止而轉。天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時、穿其服屋之頂、逆剥天斑馬剥而、所墮入時、天服織女見驚而、於梭衝陰上而死。〈訓陰上云富登。〉

故於是天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理〈此三字以音。〉坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇。因此而常夜往。於是萬神之聲者、狹蝿那須〈此二字以音。〉滿。萬妖悉發。是以八百萬神、於天安之河原、神集集而、〈訓集云都度比。〉高御産巣日神之子、思金神令思〈訓金云加尼。〉而、集常世長鳴鳥、令鳴而、取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵而、求鍛人天津麻羅而〈麻羅二字以音。〉科伊斯許理度賣命、〈自伊下六字以音。〉令作鏡。科玉祖命、令作八尺勾之五百津之御須麻流之珠而、召天兒屋命、布刀玉命〈布刀二字以音。下效此。〉而、内拔天香山之眞男鹿之肩拔而、取天香山之天之波波迦〈此三字以音。木名。〉而、令占合麻迦那波而、〈自麻下四字以音。〉天香山之五百津眞賢木矣、根許士爾許士而、〈自許下五字以音。〉於上枝、取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉、於中枝、取繋八尺鏡、〈訓八尺云八阿多。〉於下枝、取垂白丹寸手、青丹寸手而、〈訓垂云志殿。〉此種種物者、布刀玉命、布刀御幣登取持而、天兒屋命、布刀詔戸言祷白而、天手力男神、隱立戸掖而、天宇受賣命、手次繋天香山之天之日影而、爲鬘天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而、〈訓小竹云佐佐。〉於天之石屋戸伏汙氣而、蹈登杼呂許志、〈此五字以音。〉爲神懸而、掛出胸乳、裳緒忍垂於番登也。爾高天原動而、八百萬神共咲。

於是天照大御神、以爲怪、細開天石屋戸而、内告者、因吾隱坐而、以爲天原自闇、亦葦原中國皆闇矣、何由以、天宇受賣者爲樂、亦八百萬神諸咲。爾天宇受賣白言、益汝命而貴神坐。故、歡喜咲樂。如此言之間、天兒屋命、布刀玉命、指出其鏡、示奉天照大御神之時、天照大御神、逾思奇而、稍自戸出而、臨坐之時、其所隱立之天手力男神、取其御手引出、即布刀玉命、以尻久米〈此二字以音。〉繩、控度其御後方白言、從此以内、不得還入。故、天照大御神出坐之時、高天原及葦原中國、自得照明。

於是八百萬神共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦切鬚及手足爪令拔而、神夜良比夜良比岐。

…………………………………………………………………………………………………………

【『日本書紀』《第七段本文》訓読文】

是の後に、素戔嗚尊の爲行、甚だ無状し。何とならば、天照大神、天狹田・長田を以て御田としたまふ。時に素戔嗚尊、春は重播種子し、<重播種子、此をば璽枳磨枳と云ふ。>且畔毀す。<毀、此をば波那豆と云ふ。>秋は天斑駒を放ちて、田の中に伏す。復天照大神の新嘗しめす時を見て、則ち陰に新宮に放[/]る。又天照大神の、方に神衣を織りつつ、齋服殿に居しますのを見て、則ち天斑駒を剥ぎて、殿の甍を穿ちて投げ納る。

是の時に、天照大神、驚動きたまひて、梭を以て身を傷ましむ。此に由りて、發慍りまして、乃ち天石窟に入りまして、磐戸を閉して幽り居しぬ。故、六合の内常闇にして、晝夜の相代も知らず。時に、八百萬神、天安河邊に會ひて、其の禱るべき方を計ふ。故、思兼神、深く謀り遠く慮りて、遂に常世の長鳴鳥を聚めて、互に長鳴せしむ。亦天手力雄神を以て、磐戸の側に立てて、中臣連の遠祖天兒屋命、忌部の遠祖太玉命、天香山の五百箇眞坂樹を掘じて、上枝には八坂瓊の五百箇の御統を懸け、中枝には八咫鏡<一に云はく、眞經津鏡といふ。>を懸け、下枝には青和幣<和幣、此をば尼枳底と云ふ。>白和幣を懸でて、相與に致其祈禱す。又猨女君の遠祖天鈿女命、則ち手に茅纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に作俳優す。亦天香山の眞坂樹を以て鬘にし、蘿<蘿、此をば比舸礙と云ふ。>を以て手繦<手繦、此をば多須枳と云ふ。>にして、火處焼き、覆槽置せ、<覆槽、此をば于該と云ふ。>顯神明之憑談す。<顯神明之憑談、此をば歌牟鵝可梨と云ふ。>是の時に、天照大神、聞しめして曰さく、「吾、此石窟に閉り居り。謂ふに、當に豐葦原中國は、必ず爲長夜くらむ。云何ぞ天鈿女命如此[謔の言偏に替えて口偏]樂くや」とおもほして、乃ち御手を以て、細に磐戸を開けて窺す。時に手力雄神、則ち天照大神の手を奉承りて、引き奉出る。是に、中臣神・忌部神〔天兒屋命・太玉命〕、則ち端出之繩<繩、亦云はく、左繩の端出すといふ。此をば斯梨俱梅儺波と云ふ。>界す。乃ち請して曰さく、「復な還幸りましそ」とまうす。然して後に、諸の神罪過を素戔嗚尊に歸せて、科するに千座置戸を以てして、遂に促め徴る。髪を抜きて、其の罪を贖はしむるに至る。亦曰はく、其の手足の爪を抜きて贖ふといふ。已にして竟に遂降ひき。

〔このほかに一書群があるのですが、日神の部分は大同小異なので省きます。〕

 

【『日本書紀』原文】

是後、素戔鳴尊之爲行也、甚無状。何則天照大神、以天狭田・長田爲御田。時素戔鳴尊、春則重播種子。〈重播種子。此云璽枳磨枳。〉且毀其畔。〈毀、此云波那豆。〉秋則放天斑駒、使伏田中。復見天照大神當新嘗時、則陰放[尸/矢]於新宮。又見天照大神、方織神衣、居齋服殿、則剥天斑駒、穿殿甍而投納。是時、天照大神驚動、以梭傷身。由此、發慍、乃入于天石窟、閉磐戸而幽居焉。故六合之内常闇、而不知昼夜之相代。于時、八十萬神、會合於天安河邊、計其可禱之方。故思兼神、深謀遠慮、遂聚常世之長鳴鳥、使互長鳴。亦以手力雄神立磐戸之側、而中臣連遠祖天兒屋命、忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡、〈一云、眞經津鏡。〉下枝懸青和幣〈和幣、此云尼枳底。〉白和幣、相與致其祈禱焉。又猿女君遠祖天鈿女命、則手持茅纒之矟、立於天石窟戸之前、巧作俳優。亦以天香山之眞坂樹爲鬘、以蘿〈蘿。此云比舸礙。〉爲手繦〈手繦、此云多須枳。〉而火處焼、覆槽置〈覆槽、此云于該。〉顯神明之憑談。〈顯神明之憑談、此云歌牟鵝可梨。〉是時、天照大神、聞之而曰、吾比閉居石窟。謂當豐葦原中國、必爲長夜。云何天鈿女命[謔の言偏に替えて口偏]樂如此者乎、乃以御手、細開磐戸窺之。時手力雄神、則奉承天照大神之手、引而奉出。於是、中臣神・忌部神、則界以端出之縄。〈縄、亦云、左縄端出。此云斯梨倶梅儺波。〉乃請曰、勿復還幸。然後、諸神歸罪過於素戔鳴尊、而科之以千座置戸、遂促徴矣。至使抜髪、以贖其罪。亦曰、抜其手足之爪贖之。已而竟逐降焉。

« 『古事記』は口伝採録ではない ―稗田阿禮は人間バックアップ装置― | トップページ | 気候変動と弥生時代の始まり ―James Macさまの論考のご紹介― »

古代史」カテゴリの記事

コメント

山田さんへ
話題を取り上げていただき,ありがとうございます。
このサイトも「夢ブログ」にリンクさせていただきました。

肥さんへ
コメントありがとうございます。

リンクまでしていいただき、ありがとうございます。
根拠までは長大になりますので、ブログにしておきました。
リンクまでしていただき助かりました。ありがとうざいます。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65161/65725585

この記事へのトラックバック一覧です: 日の神論争~天照大神が照らした範囲 ―『記・紀』では「皆既日食の範囲」―:

« 『古事記』は口伝採録ではない ―稗田阿禮は人間バックアップ装置― | トップページ | 気候変動と弥生時代の始まり ―James Macさまの論考のご紹介― »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

古田史学先輩の追っかけ

無料ブログはココログ

最近のトラックバック