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2018年4月 2日 (月)

都が北九州にあった頃の「道」の想定図

都が北九州にあった頃の「道」の想定図

― 西村論文「五畿七道の謎」の説明図 ―

 

肥さんが「東山道十五國」図を「肥さんの夢ブログ(中社)」に転載してくださった。

山田さんの「東山道十五国」の比定【改訂版】の地図

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/04/post-e435.html?cid=141447537#comments

 夢ブログに掲載されているより少しうまく撮影できた「都が北九州にあった頃の「道」の想定図」があるので掲載します。

Photo_5


Photo_6

五畿(畿内)図

Photo_2

「東山道十五國」図

〔33: 摂津 Settsu がもれていましたので追加修正しました。〕


 古田史学の会編『古代に真実を求めて 古田史学論集 第二十一集
発見された倭京――太宰府都城と官道』(明石書店、二〇一八年三月二十五日、ISBN 978-4-7503-4649-6)の第二特集が「Ⅱ 九州王朝の古代官道」です。

 

 肥さんの論文も上記図書に掲載されています。次の二編です。

 

日本古代ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?

九州王朝は駅鈴もつくったか?(【コラム⑧】)

 

どちらも「?」が付いているのが肥さん“らしい”のです。つまり、このテーマにおいて先駆であることの証しなのです。未解明のフィールドで新たなテーマを見つけて取り組もうとすれば、自ずと「?」がつき纏うのです。断定することはできないがその可能性が高い。探求している本人はすでに確信に近いのだが、発表にあたっては断定できるだけの証拠はそろっていない。研究の「種子(たね)」を発見して取り組んだ先駆者は「?」を使わざるを得ません。肥さんは研究の「種子(たね)」を発見するのが得意な先駆者なのです。だから「肥さん“らしい”」と言ったのです。

 

上記二編は肥さんの夢ブログ(中社)に掲載されている次の記事を加筆修正したものです。

古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?(改訂版)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-5cde.html

九州王朝は駅鈴も作ったか?(改訂版)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-1f56.html

もう一つ私は肥さんの先駆を知っています。「!」がついています。発見した本人も驚いているのです。

「国分寺」はなかった!

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2016/01/post-8b07.html
これは“肥沼論文「国分寺の謎」”ともいうべきものです。これによって多元的「国分寺」研究はスタートしました。

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コメント

山田さんへ
よりきれいな地図の掲載ありがとうございます。
差し替えさせていただきますね。

また,私の3つの話題(古代ハイウェー,駅鈴,国分寺)についての言及にとどまらず,
「?」と「!」の使用法の解説まで,かゆいところに手が届く配慮もうれしかったです。
また次号「古代伝承」でもご一緒できたら幸いです。
でもその前に,「国分寺」の再開ですかね?(←このマークの使用法は・・・笑)

肥さんへ
地図、おほめにあずかりまして鼻が高いです。エッヘン。

>でもその前に,「国分寺」の再開ですかね?(←このマークの使用法は・・・笑)

「責任転嫁」の「?」ではないでしょうか?(←このマークの使用法は・・・笑)

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