都が北九州にあった頃の「道」の想定図
都が北九州にあった頃の「道」の想定図
― 西村論文「五畿七道の謎」の説明図
―
肥さんが「東山道十五國」図を「肥さんの夢ブログ(中社)」に転載してくださった。
山田さんの「東山道十五国」の比定【改訂版】の地図
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/04/post-e435.html?cid=141447537#comments
夢ブログに掲載されているより少しうまく撮影できた「都が北九州にあった頃の「道」の想定図」があるので掲載します。
五畿(畿内)図
「東山道十五國」図
〔33: 摂津 Settsu がもれていましたので追加修正しました。〕
古田史学の会編『古代に真実を求めて 古田史学論集
第二十一集 発見された倭京――太宰府都城と官道』(明石書店、二〇一八年三月二十五日、ISBN 978-4-7503-4649-6)の第二特集が「Ⅱ
九州王朝の古代官道」です。
肥さんの論文も上記図書に掲載されています。次の二編です。
日本古代ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?
九州王朝は駅鈴もつくったか?(【コラム⑧】)
どちらも「?」が付いているのが肥さん“らしい”のです。つまり、このテーマにおいて先駆であることの証しなのです。未解明のフィールドで新たなテーマを見つけて取り組もうとすれば、自ずと「?」がつき纏うのです。断定することはできないがその可能性が高い。探求している本人はすでに確信に近いのだが、発表にあたっては断定できるだけの証拠はそろっていない。研究の「種子(たね)」を発見して取り組んだ先駆者は「?」を使わざるを得ません。肥さんは研究の「種子(たね)」を発見するのが得意な先駆者なのです。だから「肥さん“らしい”」と言ったのです。
上記二編は肥さんの夢ブログ(中社)に掲載されている次の記事を加筆修正したものです。
古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?(改訂版)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-5cde.html
九州王朝は駅鈴も作ったか?(改訂版)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-1f56.html
もう一つ私は肥さんの先駆を知っています。「!」がついています。発見した本人も驚いているのです。
「国分寺」はなかった!
http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2016/01/post-8b07.html
これは“肥沼論文「国分寺の謎」”ともいうべきものです。これによって多元的「国分寺」研究はスタートしました。
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山田さんへ
よりきれいな地図の掲載ありがとうございます。
差し替えさせていただきますね。
また,私の3つの話題(古代ハイウェー,駅鈴,国分寺)についての言及にとどまらず,
「?」と「!」の使用法の解説まで,かゆいところに手が届く配慮もうれしかったです。
また次号「古代伝承」でもご一緒できたら幸いです。
でもその前に,「国分寺」の再開ですかね?(←このマークの使用法は・・・笑)
投稿: 肥さん | 2018年4月 2日 (月) 09時54分
肥さんへ
地図、おほめにあずかりまして鼻が高いです。エッヘン。
>でもその前に,「国分寺」の再開ですかね?(←このマークの使用法は・・・笑)
「責任転嫁」の「?」ではないでしょうか?(←このマークの使用法は・・・笑)
投稿: 山田 | 2018年4月 2日 (月) 22時46分