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2019年1月23日 (水)

古田史学の方法ならこうだ

古田史学の方法ならこうだ

読者さまからのご教示[古田史学]

 

先のブログ記事「瀚海」論争の挙証責任の在処―古田説を支持する肥さんの意見―[古田史学]に、通りすがりの素人さまからコメントで、「古田先生は、自己に都合よく原文の改定をせず、魏志倭人伝の文字を信じて読み解く。」とされた筈であるから、下記(転載コメント)のようにステップを踏むべきとのご教示をいただきました。
 これは「古田史学」はどのように文献を解釈すべきかを具体的に確認できるとてもよい教材となると判断しましたので、記事としてコメントから転載いたしました(全文ではなく論旨の部分の抜粋です。全文をお読みになりたい場合はリンクからどうぞ)。


【通りすがりの素人さまからのコメント(抜粋)】
…………………………………………………………………………………………………………

古田先生は、自己に都合よく原文の改定をせず、魏志倭人伝の文字を読み解く。

と、された筈です。


この大前提に則って、今回の古田説が成立する、或いは可能性を無視出来ない、とされるのであれば、最低限、次のステップを踏む必要があると思います。


step1
陳寿は瀚海と翰海を同義としていたことの証明。

step2 例え、1を探し出せなくても、少なくとも、3世紀末の三国志の第1読者は、この2文字を同義と捉えていた事の証明。

このstepは最低限証明しなければ、自己に都合よく改定しないという大前提が崩れます。

そして、山田説は原文を改定されていません。

step12が証明されなくても、今回は原文改定が許される事を証明しなければならないと思います。〔私が下線を入れたこの一行は、「入れ忘れ」として同日1102分に追加されたコメントからこの位置に転載しました。山田〕


その上で

step3 瀚海を広大な海とは解釈できない。或いは無理がある。

step4 瀚海を衆多の海とは解釈できない。或いは無理がある。

そして、3世紀の地球の気候が....等々の傍証

結果、山田説よりも古田説の方が、納得性が高い。或いは、少なくとも、成立しうる1仮説である。
と。

今回の古田説が、古田武彦先生が仰った仮説でなければ、成立する可能性があると仰るでしょうか?〔下線は山田による〕

 

投稿: 通りすがりの素人 | 2019122 () 1056

…………………………………………………………………………………………………………

私は、下線を引いた最後の一文(「今回の古田説が、古田武彦先生が仰った仮説でなければ、成立する可能性があると仰るでしょうか?」)も重要なものと思います。「古田史学」の方法は古田武彦先生の論文にも適用しなければならない、ということを指摘されたものだと考えるからです。このように、古田先生の唱えた説も俎上に載せるという読み方をするのが科学的歴史学「古田史学」というものです。古田先生の説をその通りに学習するのは“古田神学”です。また、古田先生の説に都合よく(成り立つようにあれこれ工夫して)考えるのは“古田訓詁学”です

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

山田さんへ
 お誘いがあったので、こちらのブログに書き込みます。
 「通りがかりの素人」さんの議論には疑問が多いです。

1:「瀚海」を「翰海」の意としたことが「原文改訂」にあたるのでしょうか。
 「原文改訂」とは、論者が自分の説に有利なように、根拠を示さずに、資料原文を書き換えることです。古田さんが『邪馬一国の証明』の「古代船は九州王朝をめざす」の中の「飛鳥の海流」の項で、この箇所について次のように述べています。
 一つは三つの海域があるのになぜ真ん中の対海国ー一大国間にしか名前がついていないのか。
 二つには、こんな狭い海域に「広大なさま」という名前を付ける理由がわからない。
  この二つの疑問を解く過程で、「瀚」の字のサンズイをとってみることに思いつかれた。この根拠は、魏志の中にそうしたサンズイを外した意味で使われている例が複数あるからだと(渡海ー度海、卑弥呼ー俾弥呼)。
 このサンズイをとった字「翰」で意味を調べると「飛ぶ鳥速くとぶさま」と出た。だからこれは対海国ー一大国間の海の名ではなくて海流の名だと理解したと。
 古田さんはある結論があって、そこに導くために原文の文字面を改訂したわけではありません。「瀚海」では現地の実情に合わないので理解できないが、サンズイをとった字の意味で使う例の一つだと考えれば、現地の海峡には対馬海流が流れているので、その海流の名と理解すれば了解できるとした。

 したがってこの読みは著者の陳寿もそう理解するだろうし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解するだろうと考えたわけです。
 したがってこの読みの根拠となる事実を提示する必要はないです。
 これは「原文改訂」ではありません。原文をどう理解するかです。
 そしてサンズイをとって理解してみた理由となる根拠はしっかりと明示されています。

 次に「通りがかりの素人」さんが展開して批判している対称は私の説です。
2:瀚海を広大な海とは解釈できない。或いは無理がある。これについては古田さんがすでに示していますし、同じ考えを山田さんも示し、私も示しました。ここはすでに論証済みです。

3:step4 瀚海を衆多の海とは解釈できない。或いは無理がある。
 これについては肥沼さんのブログですでに展開済み。引用します。
  北京・商務印書館編『新華字典【改訂版】』(東方書店、2000年、改訂版第1刷、ISBN 4-497-20001-9 C3587)P.179
瀚 han4 大:浩~(広大,衆多)

 この意味は「浩瀚」という熟語なら、「広大、衆多」という意味になるということではないでしょうか。
 「浩」も意味は「広い」で、「瀚」も意味は「広い」。広いという意味の漢字が二字つながると「広い×広い」つまり「広大」という意味になったり、これを人の数に使った時には「ものすごく大勢の人」という意味になるということではないでしょうか。
 つまり「瀚」という漢字一字では「衆多」という意味にはならない。

3:3世紀の地球の気候が....等々の傍証 これはグリーランド氷河の氷に含まれた花粉などの分析から出ている温暖化ー寒冷化の1500年周期説に基づけばとそもそも私は理由をあげています。そして当時が気温の高い温暖な時期だったから海流の流れも風の流れも異なる可能性はあるとしました。これについてはこれ以上の証拠をあげることはできません。
 ただ私がこの気候の変化をあげたのは、三つの海域の真ん中の一つにだけ名前が付けられていることを理解するに際して、古田さんのように「これは海流名」と理解し「今わたってきた二か所の海域で二度書くことを省略して一か所だけ書いた」と理解することもできるし(これは漢文でよくある書き方)、「当時は海流が流れているのが真ん中の一海域だけだったからそうかいた」と理解することも可能なので、その根拠となることとして示したにすぎません。

 以上のように見ていくとき、「瀚海」を広い海として理解することは無理です。そして山田さんが最初考えたように衆多の海と理解することも無理です。
 したがって残された可能性の高い理解は、古田さんの理解となります。

川瀬さんへ
反論ありがとうございます。

>したがってこの読みは著者の陳寿もそう理解するだろうし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解するだろうと考えたわけです。
 したがってこの読みの根拠となる事実を提示する必要はないです。
 これは「原文改訂」ではありません。原文をどう理解するかです。

「だろうと考えた」「したがって」「この読みの根拠となる事実を提示する必要はない」という論法はいただけません。湊哲夫氏と同じ論法ですね。

2.については、私の(その2)で「広大な海」と考え得ることを示しました。

3.については、私の「妄想」を否定しても「私が古田説を否定した根拠」を否定する(対馬水道の方が流れが速かったと証明する)ことがないと古田説が成り立つということにはなりません。

4.「海流の流れも風の流れも異なる可能性はある」と可能性を示してもそれは古田説に立って説明(しかも推定)ですので、古田説が成り立つという証明にはなりません。

古田説が「成り立つように工夫して考える」のは訓詁学ですね。


山田さんへ

1:原文改訂について
>「だろうと考えた」「したがって」「この読みの根拠となる事実を提示する必要はない」という論法はいただけません。湊哲夫氏と同じ論法ですね。

 これは詞尻をとらえた揚げ足取りです。

2:広大な海
 他にも書きましたが、○○海峡より広大だから、広大な海で良いという論法そのものが問題のすり替えです。

>古田説が「成り立つように工夫して考える」のは訓詁学ですね。
 これは山田さんの誤解です。私の発言をどうよんだらこう言えるのか。理解に苦しみます。

川瀬さんへ
反論ありがとうございます。
コメントの反応を書いていて行き違いになりました。すみません。

>詞尻をとらえた揚げ足取り

「揚げ足取り」ではありません。こう論じて欲しいと一つ前のコメントで書きました。

>私の発言をどうよんだらこう言えるのか

失礼ながら、何度も言っていますが、「対馬水道」より「朝鮮水道」の方が3倍も海流の速度があるから、「瀚海(対馬水道)=速い海流説(古田説)」は成り立たないという主張にたいして、「いや古田説ではこのように理解できる(それが正しい)」と何度も聞かされているからです。私にはそれが「理解に苦しみます」。
早く、「対馬水道」の方が「朝鮮水道」より流速が明らかに速かったことを証明してください。「古田説ではこう解釈できる(それが正しい)」という説明はもう充分に聞きましたから(納得のいかない説明ですが)。宜しくお願いいたします。

川瀬さん
反論ありがとうございます。(一つ前のコメントが飛んでしまって、これはココログから来たメールをコピーしました。川瀬さんのもとんでいるようなのでメールからコピーしました)
……………………
山田さんへ

『「対馬」(「對海國」)までが「邪馬壹国」率いる「倭王権」の範囲』と考えると、魏志倭人伝の次の一説はどう理解されるのでしょうか?
 「歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國」
 その北岸の「その」とは女王国が統治している「倭国」そのものを指すのではないでしょうか? したがて「狗邪韓國」までが倭国の領域ではないでしょうか。古田さんもそう理解していますし、私もこの理解以外ないと思いますが?

また
『・半島に渡るに(倭王権の範囲内の)最も「広い海峡」(対馬水道)を「瀚海」と名付けた。』と理解されましたが、そもそも狭い海域である海峡に「広い・広大」という名をつけることはありうるのでしょうか。
 この言説は、海流名であるという古田説を否定しようとするあまりのこじつけではないでしょうか。
……………………
(以下は私の反応です)
川瀬さんへ

>朝鮮水道が当時の国境と考える根拠がなければ、この可能性はないですね。そして、「其北岸狗邪韓國」の「その」が何を指しているかを示さないと、この可能性もありません。

そう考えられる可能性は(その2)で示しました。ただこれは「証明」だとは言っていません。
「其」は当然「邪馬壹国(の)」です。ただ「其北岸」の「北岸」が「邪馬壹国」に属する「北岸」ではなく「邪馬壹国の領域の北側の岸」と解する可能性を言っているだけです(妄想)。仮にこの考えが否定されようと肯定されようと、それは、「対馬水道」より「朝鮮水道」の海流の方が3倍も流れが速いから古田説(瀚海=速い海流説)は成り立たない、という私の古田説否定の根拠を覆したことにはなりませんよ。

>そもそも「海峡」という海域は狭いものです。こういう海に「広大」という名をつけるだろうか。疑問の根本はここです。これを○○水道より広大だからという論法は、問題のすり替えにすぎません。

これこそ問題のすり替えですね。
問題は、対馬水道に「瀚海」という名が付いていて、その「瀚海」は「速い海流のことだ」とする古田説は、「朝鮮水道」の方が「対馬水道(瀚海)」より3倍も流れが速いので成り立たない、というのが私の主張です。
倭人が「瀚海」とつけたのは何故かという問いに、対馬水道は壱岐水道より広大であるから、と答えているだけです。海峡というものが広いのか狭いのかなどという議論にすり替えているのは川瀬さんですよ。

それよりも、
>「だろうと考えた」「したがって」「この読みの根拠となる事実を提示する必要はない」という論法はいただけません。湊哲夫氏と同じ論法ですね。

と指摘した点(①)、つまりご自分の考えで「根拠となる事実を提示する必要はない」と断定できると主張されているようですね。
「この読みは著者の陳寿もそう理解するだろうし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解するだろうと考えた」ではなく、「この読みは著者の陳寿もそう理解したし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解した」「したがって」「この読みの根拠となる事実を提示する必要はない」と、このように論じて頂かないと、川瀬さんが「神」であってその考えは絶対であるという事になってしまいます。それには従えません。

>古田さんはある結論があって、そこに導くために原文の文字面を改訂したわけではありません。

「ある結論に導くためでなければ原文改訂ではない」ように聞こえますが、そういう主張ですか?(②)

>サンズイをとって理解してみた理由となる根拠はしっかりと明示されています。

その根拠というのは「こんな狭い海域に「広大なさま」という名前を付ける理由がわからない」そして「渡海ー度海、卑弥呼ー俾弥呼」と偏を取って書いてある事例があるから偏をとってみたら「飛鳥(やまどり)の速く飛ぶさま」とあった。だから海流だというものですね。今後、陳寿の『三國志』は判らない漢語があれば偏や冠やその他色々やってみて「都合のよい解釈」ができればそれは原文改訂にはあたらない」という主張ですよね?古田先生ではない方がそのような主張をしてもお認めになる、という立場の表明と受け止めてよろしいですか?

なんども言って申し訳ありませんが、私が古田説(「瀚海=速い海流」説)を否定した根拠は、「朝鮮水道」の方が「対馬水道」よりも3倍も海流の速度が速いのに「対馬水道(瀚海)」を「速い海流」という古田説は成立しない、という主張に対して、これを覆さずに「いや、古田説によればこう(都合よく)解釈できる」という主張は「神学」あるいは「訓詁学」であるというしかありません。

私の「妄想」を躍起になって否定しなくてもしょせん「妄想」なのです。そんなことに力を注がず、古田説否定の根拠(「朝鮮水道」の方が「対馬水道」よりも3倍も海流の速度が速い)を覆すか、古田説は「妄想」ではないという根拠(だろうではないもの)をお示しくだされば、そこから古田説が本当に成り立つのかどうかを検討したいと考えます。

川瀬様

返信ありがとうございます。

>1:「瀚海」を「翰海」の意としたことが「原文改訂」にあたるのでしょうか。
当たりませんか?
渡海ー度海、卑弥呼ー俾弥呼が成立するから、瀚海ー翰海も成立するのでしょうか?まず、信じるのは、「瀚」であるべきではないでしょうか?古田先生は「瀚」が広大では意味不明だから、略字の「翰」とされたようですが(略字なので原文改定とは言えないかもしれません)、今は山田様から「瀚」で意味が通じるとの説が建てられたわけですから、悪く言えば改定していると言えるのではないでしょうか?
回数の問題ではないと思いますが、倭人伝に1回しか出てこない名称の様なので、「瀚海」が正式名称で正式な意味の可能性が高いと思います。
ま、水掛け論になるところでしょうね。

>次に「通りがかりの素人」さんが展開して批判している対称は私の説です。
いえいえ、とんでもございません。もし、川瀬様を批判するとすれば、今回の川瀬様の説ではありません。

山田様の 妄想「瀚海」考―「広大な海」ではない―において、山田様が広大では無く衆多ではないかとされ、肥沼様が(恐らく軽い気持ちで)コメントされたことから始まった今回の論争です。当初山田様も広大とはされていませんが、山田様がその2で可能性を示されましたので、書かせて頂きました。川瀬様が広大説をとっておられないことは存じています。

step4については、川瀬様を批判しているなんて事は、川瀬様の被害妄想です。
何故なら、川瀬様が示された投稿は1月22日22:52分です。私の投稿は同日10時56分。川瀬様の非衆多説を批判出来るわけがありません。まだ、発表されていなかったのですから。

ただ、
>「瀚」という漢字一字では「衆多」という意味にはならない。
そうかも知れません、と考え始めています。では、思えはどう考える?と聞かれれば、「わかりません。現状では、衆多が第1候補だと思います」と回答します。

山田様
私、古田武彦先生の一愛読者でして、古田史学論を大上段に構えて論じたつもりは無いんです。お恥ずかしい限りです。

通りがかりの素人さま

>私、古田武彦先生の一愛読者でして、古田史学論を大上段に構えて論じたつもりは無いんです。お恥ずかしい限りです。

私は、そんな気持ちにさせてしまったことを恥じています。
「古田史学論を大上段に構えて論じた」のは私なのですから。

弁明をさせていただけば、一番のきっかけは古田先生の説を批判的に検討しない「古田史学」(肥さんの主張にそれを感じました)に疑問を抱いたからです。

なぜそれが気になったかといえば、古田先生の説をすべて正しいとし「信じて」しまえば、そこからは一歩たりとも深化していかないからです。古田先生は「神様」ではありませんから、不十分なことも、誤っていることもあると思います。

私たち「古田史学徒」のなすべきは古田先生の業績のいまだ至っていないところをさらに先に進めることだと思うのです。

古田先生の「瀚海=海流説」の一元史観との他流試合は、私が通用するとは思っていないのですから、勝敗は推して知るべしだと思います。「古田史学」は、まだまだ「訓詁学」を始めるような段階には至っておりません。これが私が真っ向から古田説を否定した理由です。

これに懲りませず、今後ともご指導・ご教示賜りますようお願い申し上げます。
失礼がありましたこと、お許しください。

山田様

あのような口幅ったい事を投稿しながら、申し訳ありませんでした。
さらに言えば、私は漢文も古文も全く読めません。文系は超苦手です。
正直、「古田史学徒」でも何でもない存在です。そんな私が、古田史学の文献理解など恥ずかしい限りです。
これからもよろしくお願いします。
更に、名前もメルアドも入力を失念していました。併せてお詫びいたします。

川瀬様

先ほどの投稿の後に少し気になった事です。
渡海は数回記載がありますので、度海が略字だと読者にもわかるでしょう。俾弥呼も同様です。
では、1回しか書かれていない(と思うのですが)「瀚海」を読者は、サンズイを取り除いて「翰海」と解釈するものなのでしょうか?
川瀬様が倭人伝(三国志)の3世紀末の読者で、対馬・壱岐海峡の知識がないと想像してください(あくまでも仮定です。川瀬様の博学を否定している訳ではありません)。
「瀚海」と書かれていた場合、「サンズイを取って「翰海」と読むのね」と解釈されるのでしょうか?

倭人伝が軍事報告書を基に書かれているとして、倭国への道程において、そこが急流な海峡なら、「翰海」と書けばよいのではないでしょうか?
何故、「瀚海」である必要があったのでしょうか?

通りすがりの素人さま
コメントありがとうございます。

>古田武彦先生の一愛読者

私も同じです。今は「古田史学の会」の会員ですので、会員としての責任を果たす任務があると思っているだけです。

>「古田史学徒」でも何でもない存在です。そんな私が、古田史学の文献理解など恥ずかしい限りです。

いえ、「愛読者」は恐ろしいほど「古田先生に教えられたことを守り抜く方」が多いのではないかと思います。
それは、なまじの「研究者」より忠実であるように思っています。
通りすがりの素人さまから頂いたコメントが、私の思っていてもうまく表現できていなかったことを見事に表してくれている、と思ったゆえに失礼なことになりましたが、教材として使わせて頂こうと考えたのです。
あのコメント以上のことは私には書けませんでした。有難かったです。

>私は漢文も古文も全く読めません。文系は超苦手です。

ということは理系ということですね。私も高校のときは「理系」でした。
「古田史学」には理系の方が向いているのではないか、と私は考えています(勝手に決めてしまってますが)。
私も「愛読者」なので史料批判などは全くのド素人です。
ただ、漢文を読むときは日本語よりも論理的に考えることが要求されるように思います。
だから、文系よりも理系の方が論理的思考方法に慣れているのではないか、などと自分に都合よく考えています。

私も古文は読めません。漢文は読める漢字や意味を知っている漢字があるので、規則さえ覚えてしまえば(返り点などのことです)、言葉を覚えていかなければならない古文よりずっと楽に思います。とはいえ、辞書を引き引き読んでいることは事実です(笑)。

いつも教えて頂いていることに、あらためてお礼を申し上げます。
これからもよろしくおねがいいたします。

ハンドルネームすら入れずに次の余計なコメントを書かれた方へ

> なお余計かことかもしれませんが、ぜひ実名を出して議論しませんか? なおもしご自身のサイトをお持ちならそこのアドレスにもリンクして頂けると、どのような方と議論しているのかが分るので、お互いの理解が深まると思います。

私のブログは実名であるかどうかに関わりなく議論をするという方針です。
ハンドルネームすら入れずに、実名を出して議論しようという提案は、ブログ方針に対する異議申し立てであり、受け入れられません。それがしたければご自分のブログで行ってください。
あなたの反論を掲載したくないからではありません。ブログ方針を守っているだけです。

反論を掲示してもらいたければ、ハンドルネームを入れた上で、上記余計なことを削除して、再度コメントをいれてください。

また、そのコメントに、もしこの方針に対する抗議等に準ずる文言があれば、ブログ方針に従って一切公開しません。また、その抗議等を削って再投稿されても、コメントは公開されません。これはこのブログの方針です。

反論を掲載して欲しくば、上記余計なことを削除し、ハンドルネームを入れて、ブログ方針に対して文句を書かずに、再度投稿してください。

余計なことを書いてあるコメントは削除しました。

山田さんへ

 古田説の理解が間違っていると思います。「名曰瀚海」の句は、対馬海峡についての名称でもなければ、この海峡を流れている海流の名前でもないです。朝鮮海峡と対馬海峡を流れている対馬海流についた名だと、古田さんは理解しているはずです。漢文の読みとしてはこの句は韓国ー対海国間の海と対海国ー一大国間の海の双方にかかっていると理解したはず。つまり二度同じことを繰り返すのは避けて、二度目にまとめておいた。
 「名曰瀚海」が対馬海峡にかかる詞と理解した人はここを「名は瀚海という」と読み、「名」を名詞、「曰」を動詞として理解したのだと思います。でも「名曰」というのは漢文のよくある構文で、「○○と言われている」という意味です。つまり「名曰」で一つの動詞。したがってこの瀚海という名称も倭人が付けた名だということです。
 だから対馬海峡を流れている海流より朝鮮海峡を流れている海流の方が早いから、対馬海峡につけれたた瀚海という名を「飛ぶ鳥のように流れの速い海流」と理解する古田説は誤りだとの山田さんの論は、誤解に基づいた誤ったものです。

通りすがりの素人さんへ
 漢文ではヘンを無視してツクリの音や意味だけで通用させる例は多いです。
 例として古田さんが挙げている「度海」などは、三国志より新しい例ですが、高句麗の広開土王碑文にもしばしば使われる例です。
 なぜそうするのかはわかりません。そうした例が多いということだけです。
 そしてこの傾向は漢文を正文として使っていた江戸時代の人にも受け継がれていて、江戸時代の文章は、漢文であろうと漢文読み下しの和文であろうと、漢字を、音が同じなら同じ、つくりの意味が同じなら同じという使い方が頻出していて、本当に読みにくいです。
 ではなぜ「翰海」としないで、「瀚海」としてサンズイを付けたのは何故かという問題。これはわかりません。
 先ほどの「度」の問題で言えば、この文字には「はかる・ものさし・のり・わたる」の意味があると、白川静さんの「字通」にはあります。つまり「度海」で海をわたるとなる。でも今でもそうですが海をわたるは「渡」とサンズイを付けた方を使うのが通例です。用例としてはどちらが先かわかりませんが、「わたる」対象が海と水関係のものだったので、動詞の「度」にもサンズイを付けて使う用例が生まれ、それで「度海」⇒「渡海」となったと考えれば、三国志に二つの用法があるということは、この変化の過程であったと考えられます。
 これと同じようなことが「翰海」と「瀚海」でもいえるのではないでしょうか。
 

川瀬さんへ
反論ありがとうございます。

>古田説の理解が間違っていると思います。「名曰瀚海」の句は、対馬海峡についての名称でもなければ、この海峡を流れている海流の名前でもないです。朝鮮海峡と対馬海峡を流れている対馬海流についた名だと、古田さんは理解しているはずです。漢文の読みとしてはこの句は韓国ー対海国間の海と対海国ー一大国間の海の双方にかかっていると理解したはず。つまり二度同じことを繰り返すのは避けて、二度目にまとめておいた。

相変わらず、古田さんは理解した「はず」と、古田説をどうすれば成り立つかと工夫していますね。「二度同じことを繰り返すのは避けて、二度目にまとめて」というのは肥さんの説の焼き直しですよね(三を二にした)。

>「名曰」というのは漢文のよくある構文で、「○○と言われている」という意味です。つまり「名曰」で一つの動詞。したがってこの瀚海という名称も倭人が付けた名だということです。

なにか川瀬さんに教えて頂いているような話ですが、「この瀚海という名称も倭人が付けた名だ」だから「山田さんの論は、誤解に基づいた誤ったもの」と論じていますが、「倭人が付けた名」であろうと「「名曰瀚海」は「瀚海と言われている」という意味」であろうと、
原文「狗邪韓國,七千餘里,始度一海,千餘里至對馬國。其大官曰卑狗,副曰卑奴母離。所居絶島,方可四百餘里,土地山險,多深林,道路如禽鹿徑。有千餘戸,無良田,食海物自活,乖船南北市糴。又南渡一海千餘里,名曰瀚海,至一大國,官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。方可三百里,多竹木叢林,有三千許家,差有田地,耕田猶不足食,亦南北市糴。又渡一海,千餘里至末盧國」の「狗邪韓國,(中略),始度一海,千餘里至對馬國。…(中略)…。又南渡一海千餘里,名曰瀚海,至一大國,」を古田先生が「どう理解したはず」とかではなく、「始度一海<どこそこ>、又南渡一海<そこそこ>、名曰○○(○○と言われている)、…(中略)…。又南渡一海<ここそこ>」という用例を示して、「名曰○○(○○と言われている)」が
「<どこそこ>に至る一海」と「<そこそこ>に至る一海」の「双方にかかっている」ことを証明してください。

私が何度もお尋ねしているのは「古田先生がどう理解したか」ではなく「この読みは著者の陳寿もそう理解したし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解した」ということを証明してください。そろそろ「古田先生はこういう理解であった」という話は聞き飽きて来ました。これは私の忍耐力がないと主張されるのでしょうか。

何度も申し上げてすみませんが、私が聞きたいのは「古田先生はこういう理解であった」ではありません。川瀬さんの博学は充分に存じ上げておりますので、「この読みは著者の陳寿もそう理解したし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解した」を『三國志』の用例を示して証明できるのではないかと期待しております。

私が古田先生の説を誤解しようと理解しようとどうでもいいのです。なぜなら、証明して欲しいのは「古田先生がこう理解したから成り立つ」ということではなく、川瀬さんが「古田さんは理解しているはず」という解釈(古田説の理解)について、「この読みは著者の陳寿もそう理解したし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解した」ということだからです。すでにこれは指摘しています(指摘①)。

「古田先生の理解はこうだから、山田は古田説を間違って理解している」という論法はもういいです。「古田先生の理解がどうだろうと」「山田が古田先生の唱えたことを誤解しているのであろうと」、大事なことは川瀬さんが主張する「古田さんはこう理解したはず」の「この読みは著者の陳寿もそう理解したし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解した」ことを証明することです。たとえば「俺は漢文を良く知っているのだ」と言われても私は証明して頂かないと、どんな権威者のいうことも納得しない質なのです。申し訳ありません。ですから、何度も同じことを繰り返されるのはもうよしてください。

なお「通りすがりの素人さま」へのご意見については、私はとりあえずこの時点で言及することは控えさせていただきます。ご本人のご意見を代弁できませんので。

川瀬様

>これと同じようなことが「翰海」と「瀚海」でもいえるのではないでしょうか。

「言えるかもしれませんね」としか言えません。そして
「だから?「瀚海」が「翰海」同義だと言えるのでしょうか?客観的に見て、今回の古田説が山田説以上の説得力を持つ根拠になるのでしょうか?」と続けます。

古田史学に詳しい川瀬様に、私の様な者が以下の様な失礼なことを言う事をお許しください。

『古田説が成立する可能性の傍証探しに奔走されていませんか?』
度や卑弥呼や江戸時代の文章や広開土王碑文等は、傍証探しに奔走されているだけに見えます。
急な海流の件でも、グリーンランドや温暖化ー寒冷化を調べられる熱意には敬意を払いますが、傍証探しです。

「古田学徒のやるべきことは、古田説が成立する可能性の傍証探しであり、それが本質である。」
それが、川瀬様の古田史学論であれば、いくらでも傍証探しの旅を続けられると良いと思います。

ではなく、今回の古田説が成り立つと仰りたいのであれば、川瀬様がなすべき調査は、まず以下の2点ではないでしょうか?
①魏志倭人伝或いは三国志で、陳寿は「瀚」が「翰」と同義であるとしていることを調べる
②あるいは、現在では「瀚」と「翰」は意味が違うが、3世紀末においては同義だったことを調べる

この証明責任は、「瀚」=「翰」論者の方にあると思います。

陳寿は誰に向かって三国志(魏志倭人伝)を書いたのでしょうか?
少なくとも、初見で陳寿が書く「瀚海」の意味が理解できる人を想定している筈です。
もし、これに同意頂ければ、川瀬様がなすべき調査は、上記①或いは②であることはご納得頂けるのではないでしょうか?

これでも、
>「通りがかりの素人」さんの議論には疑問が多いです。
か?

山田様

いま、コメントを読みました。
私が言いたい事を先に言われてしまった感が満載です。

通りすがりの素人さま
コメントありがとうございます。

>私が言いたい事を先に言われてしまった感が満載です。

いえいえ、①②と挙証責任、これは「簡にして要」で感服致しました。
いつも論理的で簡潔なご指摘には見習いたいと思っておりますが、とても及びません。

そろそろこの論争も終着となったと考えています。
論点が進まず、同じことを繰り返し主張されているようですから。

この瀚海論争にご参加いただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

山田さんへ・通りすがりの素人さんへ

>『古田説が成立する可能性の傍証探しに奔走されていませんか?』
 これは私の議論を色眼鏡で見ているからです。私のサイトを覗いてみれば、私が「古田説」の間違いをいくつも論証していることがわかります。
 今回の例でも冷静に検証しています。

>私が古田先生の説を誤解しようと理解しようとどうでもいいのです。
 この山田さんの言葉は、研究者にあるまじき言葉です。古田説はこの問題に対する先行研究です。先行研究の結論を支持するかしないか。これは研究する上で必須の条件です。支持するにしろしないにしろ、先行説を誤解したままでは研究はできません。

>①魏志倭人伝或いは三国志で、陳寿は「瀚」が「翰」と同義であるとしていることを調べる
②あるいは、現在では「瀚」と「翰」は意味が違うが、3世紀末においては同義だったことを調べる
 これが必要だとおっしゃるお二人。お二人があまりに漢文の通例の読み方に「無知」であることがよくわかります。古代史について論じるのであれば、その必須条件である漢文の読みに精通することが必要です。そして自分より精通している人の論に耳を傾ける謙虚さも必要です。

 研究姿勢に大きなかい離があることがよくわかりました。これ以上の論争は無用ですね。
 

川瀬さんへ

>私のサイトを覗いてみれば、私が「古田説」の間違いをいくつも論証している

誰があなたのサイトをみなければいけないと言ったのですか?
ここで議論しているのですから、川瀬さんが議論をつくせばいい話でしょう。

>山田さんの言葉は、研究者にあるまじき言葉

古田説が成り立つためには、何を証明すればよいか何度も指摘しているにも関わらず、「古田さんはこう理解したはず」「山田は古田説を誤解している」という論法で、いっこうに古田説(実際は川瀬解釈説)が成り立つという証明を示さないから業を煮やして申し上げたのですよ。
先行説?それは今まで論じてきたではありませんか。誤解もなにも「こう解釈すればよい」とはいうがその解釈の成り立つ証明をしてはいないではないですか。
私の主張をまた申し上げれば、「朝鮮水道は対馬水道より3倍も海流の速度が速いので、瀚海を速い海流という古田説は成り立たない(前提として「瀚海」は「対馬水道」の呼び名と理解しております)。」
これを否定するのであれば「対馬水道のほうが朝鮮水道より海流の速度が速い」と証明するか、川瀬さんが「古田先生はこう理解した」という解釈を「この読みは著者の陳寿もそう理解したし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解した」と証明するか、このどちらかですよ。
私の古田説の理解がなんたらかんたら議論しても何もこの問題の解決にはなりません。「先行説を誤解」云々という話は何の関係がありますか?

>お二人があまりに漢文の通例の読み方に「無知」であることがよくわかります。古代史について論じるのであれば、その必須条件である漢文の読みに精通することが必要です。そして自分より精通している人の論に耳を傾ける謙虚さも必要です。

誰があなたを、他人を「漢文の通例の読み方に「無知」である」と断言できる資格を認定されたのでしょうか。また、「自分より精通している人の論に耳を傾ける謙虚さ」の「「自分より精通している人」というのが川瀬さんなのですか?それは一般の社会では「己惚れ」と言われるものではありませんか?精通している川瀬さんが「この読みは著者の陳寿もそう理解したし、当時の一般読者や第一読者である皇帝もそう理解した」と証明できないように見えるのは何故でしょうか?
他人を「無知」呼ばわりするのは、紛れもない立派な「誹謗中傷」なので、川瀬さんは以後「出入り禁止」とさせていただきます。瀚海論争への参加ありがとうございました。この処置が妥当かどうかは読者のご判断に委ねます。

>研究姿勢に大きなかい離があることがよくわかりました。これ以上の論争は無用ですね。

「研究姿勢に大きなかい離がある」ことは論争の障害にはなりませんが、他人を「無知」呼ばわりしたので、このくらいは言わせていただくと、「論争に負けた『引かれ者の小唄』」が最後のコメントということですね。もちろん「終った論争」ですから「これ以上の論争は無用」というご意見にだけは賛成いたします。

川瀬様

貴重な訓示ありがとうございます。

>私のサイトを覗いてみれば、私が「古田説」の間違いをいくつも論証していることがわかります。
これは、私の書き方が悪かったと思います。
「今回の古田説が成立する可能性の傍証探しに奔走されていませんか?」
とするべきでした。申し訳ありませんでした。

さて、突然ではありますが、僭越ながら私のハンドルネームについて少し説明させて頂きます。
「通りすがりの」には、あまり意味がありません。色々なサイトに現れるだけの意味です。
「素人」には、それなりの意味があると思っています。
どの本だったかは失礼ながら失念しましたが、古田先生のご本に「素人とは知ろうとする人」と言う文言を見て、かくありたいと思い「素人」と付けました。
勿論、古田史学論者の皆様方からすれば、全くのずぶの素人と言う事もあります。
ですので、漢文も古文も読めませんと告白しております。

今、川瀬様のご訓話
>古代史について論じるのであれば、その必須条件である漢文の読みに精通することが必要です。そして自分より精通している人の論に耳を傾ける謙虚さも必要です。
を有難く頂戴します。

漢文以外についても、傾聴は心がけています。(耳を傾けていないのはどちらかは不問にします)ですので、今回の川瀬様の訓示から、漢文の勉強をすることを辞めようと思います。
何故なら、
①「漢文の読みに精通すること」で、そこに書いてある漢字のサンズイやニンベンを取っても、意味が通じれば、論証なく取っても構わない様な学問なのですから。
②もう一歩進めば、「漢文の読みに精通すること」で、そこに書いてある漢字のどの様な偏やつくりを取っても、意味が通じれば、論証なく取っても構わない様な学問かも知れないのですから。
③極論すれば、「漢文の読みに精通すること」で、そこに書いてある漢字の南を東に、一を台と読み替えても、、意味が通じれば、論証なく変えても構わない様な学問かも知れないからです。

「かも知れない」の意味は、「漢文の読みに精通すること」の学問学徒の川瀬様が誰よりも精通されていると思います。

実は、川瀬様への批判はもっと違うところにあったのですが
>これ以上の論争は無用ですね。
との事。今回は、川瀬訓示を胸に、素人であり続けることを決意しました。
ありがとうございました。

川瀬様

申し訳ございません。
(私にとっては)大きな訂正です。川瀬様にとってはどうでもよい事かも知れませんが。

「素人とは、真実を知ろうとする人」
です。

山田様、先ほどの愚書き込みを掲載頂けるのなら、こちらも是非掲載頂くようお願いいたします。

通りすがりの素人さま

ご懸念には及びません。ブログ方針に反しなければ「反論はすべからく公開する」ブログ方針ですから、「反論の補論や訂正」も「すべからく公開する」のも当然です。誹謗中傷(具体例「おまえらは『無知』だ」)や自己コマーシャル以外は必ず掲載されます(笑)。

川瀬さんに対する反論を一つ書き忘れましたので追加します。

>自分より精通している人の論に耳を傾ける謙虚さも必要です。

この「自分より精通している人」というのは「川瀬さん」(論争の経緯からそうとしが考えられない)ですから、「私(川瀬)の論に耳を傾ける謙虚さも必要です。」という言葉には「謙虚さ」が微塵も感じられません。「謙虚さが必要だ」という言葉に「謙虚さが無い」。つまり、「私(川瀬)の論に耳を傾ける謙虚さも必要です。」という言葉は「自己撞着」(矛盾)です。「論理(logic)」を正しく用いていません。つまり「『理性』を欠いている。」と指摘できます。また「矛盾」は「真実」ではありません。すまわち、この言葉は「真」な命題ではなく「偽」な命題です。ただ、「自分より精通している人」が川瀬さんでなければ「偽」とは言えません。つまり、川瀬さんは言葉(漢文ではなく日本語)を間違って使っていたのです。その原因は「論理(logic)」を正しく用いることができなかった、そして、その真因は「己惚れ」だったということです。

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