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2020年2月28日 (金)

今日は何が起きた日?―台湾 二・二八事件―

今日は何が起きた日?

台湾 二・二八事件[歴史]

 Wikipedia二・二八事件には概略が次のように記されています。詳しくはリンクから参照してください。

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二・二八事件(ににはちじけん)は、1947年2月28日に台湾の台北市で発生し、その後台湾全土に広がった、中国国民党政権(外省人(在台中国人))による長期的な白色テロ、すなわち民衆(当時はまだ日本国籍を有していた本省人(台湾人)と日本人)弾圧・虐殺の引き金となった事件[1]。 

1947年2月27日、台北市で闇タバコを販売していた本省人女性に対し、取締の役人が暴行を加える事件が起きた。これが発端となって、翌2月28日には本省人による市庁舎への抗議デモが行われた。しかし、憲兵隊がこれに発砲、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧した。

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発砲」と書かれていているので「拳銃で撃った」ように想像されると思いますが、実際は抗議するデモ隊に対して「無差別に機銃掃射注1〕」したのです。

 中国共産党や国民党(両者は「同じ穴のむじな」です)は、自己に都合が悪い不利なもの(つまり「加害者」の場合)は「事件」(例「二・二八事件」)として扱い、都合が良い有利なもの(つまり「被害者」になれる場合)は「大虐殺」(“南京大虐殺”〔注2〕)などの言葉を使って「交渉のカード」として使うのが常套手段です。

 大東亜戦争後に大陸からやって来た「外省人(「国民党」)」というのは、「内省人(台湾人)」と日本人にとって侵略者・虐殺者なのです。この虐殺によって将来国のリーダーとなるであろう医者・弁護士・教師・青年・学生たちが1ヶ月ほとの間に約3万人もが「みせしめ」のために残虐な方法で殺められたという事件が「二・二八事件」なのです。 

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注1 機銃掃射 …… 機銃掃射(きじゅうそうしゃ)は、機関銃で敵をなぎ払うように射撃すること[1]。歩兵部隊や要塞陣地・船舶・航空機などが装備した機関銃や機関砲を使用して、地上または海上の目標を連射・速射により攻撃する方法である。Wikipedia「機銃掃射」

注2 “南京大虐殺”…… 「南京事件」のこと。下記はWikipediaに記された概要。詳しくはリンクから参照ください。

南京事件(なんきんじけん)は、1937年(昭和12年)12月の南京戦において日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵、そして南京城内や周辺地域の一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件。戦後南京軍事法廷や極東国際軍事裁判で裁かれた[1]。南京大虐殺、南京大虐殺事件、南京虐殺事件 など多様な呼称がある(後述)。事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か否か、犠牲者数などの論争が存在している(南京事件論争)。事件の真相はいまだ不明である[2][注釈 1]。Wikipedia「南京事件」より抜粋)

当時の朝日新聞の人気記者本多勝一氏は、「南京事件」についてプロパガンダ記事を書いています。(「Japan+」(20141030日)の記事を転載。改行は省略。原文はリンクから参照下さい。)

本多勝一元記者が、「南京大虐殺」写真の捏造認める!
Photo_20200228145801

朝日新聞が避けて通れない、もう一つの「戦後責任」

本多勝一元記者が捏造認める!

朝日新聞は速やかに「南京大虐殺」報道の検証と記事の取り消しを!

かつて朝日新聞のスター記者だった本多勝一氏が、日本軍による虐殺の証拠として使ってきた写真が、実は捏造であったことを、本多氏自身が初めて認めました。

問題の写真は、本多勝一氏の『中国の日本軍』に掲載されたもので、日本兵が中国の婦女子をかり集めてこれから虐殺するところであるとの説明がなされています。

ところが、この写真の出所は、実は本多氏が当時勤めていた朝日新聞社発行の『アサヒグラフ』(一九三七年十一月十日号)に掲載されたもの。日本兵は家路につく少女たちを護っていたとのキャプションがついていて、少女たちの笑顔もはっきりと写っており、「南京大虐殺」とは何の関係もない写真であることは、誰の目にも明らかです。

この矛盾点を問われた本多氏は、週刊新潮(9月25日号・下写真)に次のようなコメントを寄せています。

「『中国の日本軍』の写真説明はすべて中国側の調査・証言に基づくものです」「『中国の日本軍』の写真が、『アサヒグラフ』に別のキャプションで掲載されているとの指摘は、俺の記憶では初めてです。確かに「誤用」のようです。
Photo_20200228150001

一切裏付け取材をしなかった本多勝一記者

本多勝一氏は1971年6月から四〇日間かけて中国を取材し、その衝撃のルポルタージュ「中国の旅」は朝日新聞紙面で連載されたほか、「中国の日本軍」「南京への道」などとともにシリーズで単行本化され、長らく「南京大虐殺」説の根拠とされてきました。

しかし本多氏のこの時の取材は実にいい加減なものでした。中国共産党が用意した証人の証言をただ聞き書きしただけで、一切裏付け取材を行っていなかったことを、本多氏自身も後に著書の中で認めています。

また、「中国の旅」の記事で「日本人による虐殺があった」と紹介された炭鉱に勤めていた日本人が、記事は事実と著しく異なると本多記者に抗議の手紙を送ったところ、本多氏からは「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか。」という、無責任な回答が返ってきました(※下写真参照)。

※本多勝一記者の直筆の書簡
Photo_20200228150101

証言が真実かどうかを調べるのが記者の仕事ではないでしょうか。

これが『中国の旅』の報道の実態です。

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