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2021年1月 2日 (土)

科野からの便り(22)―「真田・大倉の鉄滓」②【資料編】―

科野からの便り(22)
「真田・大倉の鉄滓」②【資料編】
 昨夜(2020/01/01 23:42)、先日是非にとお願いしてご郵送いただいた「山辺邦彦氏」作成の資料の解説を吉村さんからメールでご寄稿頂きましたので、記事末の当該資料と共に掲載いたします。この「資料編」は前回の 科野からの便り(21)「真田・大倉の鉄滓」発見② の資料解説です。今回は引用記事へのリンクを貼るだけに留め、注釈は添えていません(ご了承ください)。なお、当ブログでは、図版はクリックで拡大表示されます。

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科野からの便り(二十二) 「真田・大倉編」②資料

上田市 吉村八洲男

 マスコミは、数年に一度の寒波の到来を予測し、伝えています。どうなるのでしょうね、心配です。コロナ騒動にさらなる追い打ちをかけています。

 前回は、上田の「条里遺構」について、他分野の科学(地質学から・「山辺邦彦氏」による)からの見解・判断を紹介しました。私にとってその内容は新鮮な指摘であり、同時に納得させられる論理(科学上の説明)でした。

 今迄の歴史定説では、「上田(神科)条里の存在」は完全に否定されています。その理由は、「一流の歴史学者がそう判断した」からです。7世紀の、しかも地方での条里の存在は、「一元説」からはあり得ないのです。郷土史家は「条里の存在」を予想していたのですが、地元の歴史を「多元史観」から考える事にまでは、想定が及びませんでした。

 ところが驚いたことに、「地質学」から「条里が存在した」と判断されたのです。それどころか、論拠とされた「条里想定地」周囲の地質判断は、「条里」存在を確定しただけでなく、さらに「製鉄・精銅」が行われていたと想定したのです。両者は表裏一体だったと言うのです。

 驚きの論断です。「歴史学」定説の判断とは真逆な判断・結論が、「地質学」からは示された事になります。

 その際その論拠を「科学(地質学)からの推論・判断から」とする訳ですから、その科学的根拠の確認・正誤判断はきびしくチェックされなければいけません。

 その上で、この判断に対し、明確で科学的な反論がなければ、「上田条里・製鉄に関する地質学からの歴史判断の方が妥当である」とされます。

 そうすると、そこからは「歴史学」の定説に変化が生まれます。「真逆の判断」の方が正しいのですからその変化は、挙げればキリがない程になるでしょう。

 いままでの定説には、誤りがあったのかも知れません。

 私の「便り・(二十一)」は、「山辺邦彦氏」の作成された「資料」を取り込んで仕上げてあります。その際に利用した「山辺氏」作成の「上田・条里」関係「資料」を今回、改めて表示致します。立論の根拠です、どうぞ御確認ください。

 この「資料」は、『「真田・大倉」での「鉄滓発見・(十九)」』での「資料」と同一者(山辺氏)により造られました。(発見した「鉄滓」の分析を中心としたのが(十九)の「資料」です。)

 ただ、ご確認の際にお断りしたい事があります。

 これからの「資料」は、「講演会資料」として配布されたものとその後の個人的な「探索・学習会」用に「山辺氏」が作成されたものです。

 その量と熱意には打たれるのですが、配布対象を、私のような「地質」初心者を想定したかと思えます。その為、説明の重なりや、解りにくさ、そして無関係かと思える内容もあります。「資料」記載事項が部分的で、全体が判断しにくいとの意見もあるでしょう。

 しかし「入門用」であっても、「地質学」的には定説とされている推断と、そこから波及した種々の結論でこれらの「資料」が作成されています。(「山辺氏」は、これらの「資料」を中心に、真田・条里関連の推論をまとめ、論文にしたい、と言われています。詳細はそれを紹介するのが最善ですが、それを待てません。)

 ですからこれら一連の「資料」だけで、「真田」「上田・条里」を判断する際の科学説明のすべて、とは即断されないで下さい。その点は、お願いします。

 表示「資料」の「タイトル」は、私がつけました。「タイトル」付与により、その頁の内容を簡略に説明できるようにした積もりです。

 そして「資料」が、私の論考への評価の参考になるよう、裏付けが直ぐ取れるよう、並べ直しました。ですから配布順ではありません。これにもご注意下さい。

 

<資料>

1.神科条里の製鉄 ① 玄蕃山公園の火砕流「凝灰角礫岩」から見えて来た古代の銅鉱石と山砂鉄について

2.        ② 質の良い山砂鉄は風化玢岩(ひんがん)・軽石層・火砕流から採れる

3.        ③ 金井は鉱山と精錬跡~金くそ出土~

4.水鉛谷軽石層下部(70~60万年前)

5.矢沢・赤色火砕流による磁鉄鉱

6.鉱山の分布と堀越堰・吉田堰の関係

7.上田市東部と東御市和(かのう)・祢津(ねつ)の水鉛谷軽石層

8.矢沢の山砂鉄―笠ツブレ火砕流

9.「講演会案内パンフ」―玄蕃山公園の火砕流と凝灰角礫岩―

10.「玄蕃山凝灰角礫岩」中の2種類の「安山岩」

11.「金井」の神社 「草創(くさわけ)神社」

12.「金くそ」と「カラミ」について

13.上田の例 縄文土器と火山灰 

14.上田の例 白山神社の金くそと花小屋城の山砂鉄

15.上田の例 塩尻五輪塔の岩石分析

 

次回はお約束の様に、「山辺氏」の「真田は製鉄の好適地」仮説を、詳細にご紹介するつもりです。

(終)

……【資料】………………………………………………………………………………………………………

(資料1)神科条里の製鉄① 玄蕃山公園の火砕流「凝灰角礫岩」から見えて来た古代の銅
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(資料2)神科条里の製鉄② 質の良い山砂鉄は風化玢岩(ひんがん)・軽石層・火砕流か
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(資料3)神科条里の製鉄③ 金井は鉱山と精錬跡~金くそ出土~
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(資料4)水鉛谷軽石層下部(70~60万年前)
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(資料5)矢沢・赤色火砕流による磁鉄鉱
Photo_20210102035801

(資料6)鉱山の分布と堀越堰・吉田堰の関係
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(資料7)上田市東部と東御市和(かのう)・祢津(ねつ)の水鉛谷軽石層
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(資料8)矢沢の山砂鉄―笠ツブレ火砕流
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(資料9)「講演会案内パンフ」―玄蕃山公園の火砕流と凝灰角礫岩―
Photo_20210102040301

(資料10)「玄蕃山凝灰角礫岩」中の2種類の「安山岩」
Photo_20210102040501

(資料11)「金井」の神社 「草創(くさわけ)神社」
Photo_20210102040601

(資料12)「金くそ」と「カラミ」について
Photo_20210102040801

(資料13)上田の例 縄文土器と火山灰
Photo_20210102041001

(資料14)上田の例 白山神社の金くそと花小屋城の山砂鉄
Photo_20210102041002

(資料15)上田の例 塩尻五輪塔の岩石分析
Photo_20210102041101

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