平城京の大官大寺(3)―古式伽藍配置の元興寺―
平城京の大官大寺(3)
―古式伽藍配置の元興寺―[古代史][論理の赴くところ][多元的「国分寺」研究][古田史学]
次が大安寺のHPに掲載されている伽藍配置図です。
大安寺伽藍図(大安寺のHP[1]より)
この左京六条四坊の伽藍図から、移築元の元興寺が「古式寺院」であったことがわかります。
「古式寺院」とは、回廊や築地塀(以下、「回廊等」と言います)で囲った内郭内(伽藍中枢域)に塔を置く伽藍配置の寺院のことです。
「古式寺院」とは異なった内郭外に塔を置く伽藍配置の寺院を「新式寺院」と呼びます。誤解が生じなければ、その「伽藍配置」や、その伽藍配置をとる「寺院」を、単に「古式」・「新式」と略して言うこともあります。当然ですが、「古式」の方が「新式」よりも古い時代の寺院です。
「左京六条四坊」にある大安寺は、「中門」と「南大門」がとても近くに配置にされています。内郭内に塔を配置する「古式寺院」は「中門」と「南大門」の距離がとても近い特徴があります(離す必要がないからです)。解体した「古式」の「元興寺」の建築資材を、「左京六条四坊」に運び込んで移築したと考えられます(それなりの理由があったのでしょう)。
また、縦型の伽藍配置(例:四天王寺)でも横型の伽藍配置(例:法隆寺西院)でも、「古式寺院」の回廊等(内郭)にはどこかの長さが2:3の比率になっています。さらに、内郭が回廊の場合には「単廊」になっています。
大安寺の伽藍配置から「伽藍配置の大原則」とは異質な伽藍配置となっている部分を抽出してみました。
大安寺伽藍配置の不可解さ
(1)回廊が途中で途切れています。通常なら、中門から発した回廊はつながっています。
(2)単廊と複廊が混在しています。
(3)回廊の北辺が二ヶ所隙間があって途切れています。単・複の回廊が合成されています。
(4)外郭の南辺が不自然に屈曲しています。
これらが生じた原因は何でしょうか。
まず、わかりやすい(2)ですが、単廊であったものを複廊にしようとしたからと考えられます。ところが、中門から発している回廊が単廊で、しかも中門の規模が複廊を繋げられるほどの桁行がないので回廊南辺の複廊化は諦めたのでしょう。
次に、(3)の不思議な二ヶ所の隙間で途切れている北辺は、元興寺の単廊の北辺を再利用したと考えられます。そう考える理由は、この長さを「2」とすると回廊南辺の内側までの距離が「3」となります。つまり、単廊内側の縦横比が3:2の「古式」となっていることです。東西の単廊を途切れたところからつなげてみると、この数字がでてきます。複廊化したために余った東辺と西辺の単廊を金堂に繋げたり、中門から発している単廊と金堂に繋げた単廊を、また単廊で繋げたりしています(ハチャメチャです)。
不自然に屈曲した外郭(4)は、次図のように双塔を置くための改造(途中で中止された)と思われます。
左京六条四坊での改造計画
残った(1)については、理由がわかりませんでした。
[1] 大安寺のHP 大安寺について/伽藍を知る/大安寺式伽藍 の「平城京と大安寺」図を加工。
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コメント
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山田さんへ
確かに疑問がたくさんある伽藍群ですね。
それだけに,古代史の謎が隠されているとも言えますが・・・。
投稿: 肥さん | 2022年2月 9日 (水) 12時54分
肥さんへ
コメント、ありがとうございます。
>古代史の謎が隠されているとも言えます
そうなんです。そして、大安寺から始めて「大官大寺」そのものの謎を解明しようという
「身の丈を超えた謎解きシリーズ」という企画なので、お楽しみに。
(楽しんでいるのは、ブログ主だけになる可能性もあります(笑)。)
投稿: 山田春廣 | 2022年2月11日 (金) 10時32分