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2022年3月27日 (日)

平城京の大官大寺(22)―飛鳥・河内地域の土器編年(服部私案)―

平城京の大官大寺22
飛鳥・河内地域の土器編年(服部私案)―[古代史][論理の赴くところ][多元的「国分寺」研究][古田史学][著書や論考等の紹介]

 前回(平城京の大官大寺(21)―飛鳥土器編年の問題点―)は、服部静尚さまから表Ⅰ 飛鳥地域の土器編年と代表的資料(小田2014)の暦年推測の問題点のご指摘と、それを是正する私案を頂いたのですが、添付資料が来(きた)る4月10日(日)午後の多元の会例会でも発表予定のものでしたので、服部さんが大和古代史研究会での発表のYouTube動画よりその提案資料を転載いたしました。

服部静尚氏の私案《再掲》
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 今回は、その説明を行います。服部さんが発表されたYouTube動画の画面を紹介しながらザックリと解説すると次のごとくです。私の理解不足による説明間違いがあるかも知れませんので、是非YouTube動画をご覧ください(前回にリンクを貼ってあります)。

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 『日本書紀』は六世紀末から七世紀初頭の間、難波宮(645653年)を除いて、飛鳥に都があったとする。
豊浦宮で推古天皇即位(593)。「乙巳の変」(645,甘樫丘)の後、難波宮に遷都する。653年、皇太子は皇祖母・皇后と百官を引き連れて倭飛鳥河辺行宮に移る。655年、斉明天皇が飛鳥板葺宮で即位。斉明六年(660)、皇太子漏刻をつくる(水落遺跡)。ある考古学者はこの間は10年単位で年代が分かるとしている(ほんとうだろうか)。

考古学で編年はどのように行われているの

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「土師器」は古墳時代の野焼き土器をいう(同じ野焼きでも弥生式土器よりも肉薄(半分ほど))。
荘内式・布留式の区別も曖昧。「須恵器」は窯により高温で焼く。陶器と磁器の違いのようなもの。

とくに須恵器の「蓋坏」の形状に、遺跡ごとに違い・変化がみられる
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土器の変遷によって年代を推測する飛鳥編年が作られ
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丸底の坏()→②平底の坏()→③高台付きの坏()の順
 

挙げられた基準遺跡の「坏」は、実は指標通りの変遷ではない
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指標通り(H→G→Bの順に変遷)に編年していない

最近までの追加発掘で、基準遺跡の編年が変わっている
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飛鳥編年の問題点
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瓦と須恵器、3つの提起
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服部静尚氏の提案編年
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 今回は服部静尚さんの提案された河内・飛鳥地域の編年を紹介しました。次回は、服部編年に従うと百済大寺の廃絶時期はどのように推測できるかを検討する予定です。

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