平城京の大官大寺(22)―飛鳥・河内地域の土器編年(服部私案)―
平城京の大官大寺(22)
―飛鳥・河内地域の土器編年(服部私案)―[古代史][論理の赴くところ][多元的「国分寺」研究][古田史学][著書や論考等の紹介]
前回(平城京の大官大寺(21)―飛鳥土器編年の問題点―)は、服部静尚さまから表Ⅰ 飛鳥地域の土器編年と代表的資料(小田2014)の暦年推測の問題点のご指摘と、それを是正する私案を頂いたのですが、添付資料が来(きた)る4月10日(日)午後の多元の会例会でも発表予定のものでしたので、服部さんが大和古代史研究会での発表のYouTube動画よりその提案資料を転載いたしました。
服部静尚氏の私案《再掲》
今回は、その説明を行います。服部さんが発表されたYouTube動画の画面を紹介しながらザックリと解説すると次のごとくです。私の理解不足による説明間違いがあるかも知れませんので、是非YouTube動画をご覧ください(前回にリンクを貼ってあります)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『日本書紀』は六世紀末から七世紀初頭の間、難波宮(645~653年)を除いて、飛鳥に都があったとする。
豊浦宮で推古天皇即位(593)。「乙巳の変」(645,甘樫丘)の後、難波宮に遷都する。653年、皇太子は皇祖母・皇后と百官を引き連れて倭飛鳥河辺行宮に移る。655年、斉明天皇が飛鳥板葺宮で即位。斉明六年(660)、皇太子漏刻をつくる(水落遺跡)。ある考古学者はこの間は10年単位で年代が分かるとしている(ほんとうだろうか)。
考古学で編年はどのように行われているのか

「土師器」は古墳時代の野焼き土器をいう(同じ野焼きでも弥生式土器よりも肉薄(半分ほど))。
荘内式・布留式の区別も曖昧。「須恵器」は窯により高温で焼く。陶器と磁器の違いのようなもの。
とくに須恵器の「蓋坏」の形状に、遺跡ごとに違い・変化がみられる
土器の変遷によって年代を推測する飛鳥編年が作られた
①丸底の坏(H)→②平底の坏(G)→③高台付きの坏(B)の順
挙げられた基準遺跡の「坏」は、実は指標通りの変遷ではない
指標通り(H→G→Bの順に変遷)に編年していない
服部静尚氏の提案編年
今回は服部静尚さんの提案された河内・飛鳥地域の編年を紹介しました。次回は、服部編年に従うと百済大寺の廃絶時期はどのように推測できるかを検討する予定です。
« 平城京の大官大寺(21)―飛鳥土器編年の問題点― | トップページ | 古田史学論集『古代に真実を求めて』第二十五集「古代史の争点」発刊―「邪馬台国」、倭の五王、聖徳太子、大化の改新、藤原京と王朝交代― »
「古代史」カテゴリの記事
- 大兄ではなかった中大兄皇子―ただの「中皇子」だった―(2023.08.29)
- Excel「元嘉暦」2022【改訂版】の配布―『宋書』『日本書紀』対応版―(2022.04.25)
- 平城京の大官大寺(22)―飛鳥・河内地域の土器編年(服部私案)―(2022.03.27)
- 平城京の大官大寺(21)―飛鳥土器編年の問題点―(2022.03.27)
- 平城京の大官大寺(19)―骨折り損のくたびれ儲け―(2022.03.12)
「古田史学」カテゴリの記事
- 肥さんの思い出(2)―「無かった」の論理―(2023.02.12)
- 肥さんの思い出(1)―真実に到達する手順―(2023.02.12)
- 古田史学会報 No.169(2022年4月12日)を読んで―自説に都合よい反論はダメ―(2022.04.18)
- 平城京の大官大寺(22)―飛鳥・河内地域の土器編年(服部私案)―(2022.03.27)
- 平城京の大官大寺(21)―飛鳥土器編年の問題点―(2022.03.27)
「多元的「国分寺」研究」カテゴリの記事
- 倭国一の寺院「元興寺」(7)―太宰府にあった傍証―(2023.01.27)
- 倭国一の寺院「元興寺」(6)―「元興寺の伽藍配置」―(2023.01.27)
- 倭国一の寺院「元興寺」(5)―伽藍配置の復原―(2023.01.19)
- 倭国一の寺院「元興寺」(4)―名前のない伽藍配置―(2023.01.14)
- 平城京の大官大寺(22)―飛鳥・河内地域の土器編年(服部私案)―(2022.03.27)
「著書や論考等の紹介」カテゴリの記事
- 無文銀銭論考の紹介―ブログ「古田史学とMe」から―(2023.01.17)
- 『二中歴』「蔵和」細注―「老人死」が判明―(2022.04.16)
- 平城京の大官大寺(22)―飛鳥・河内地域の土器編年(服部私案)―(2022.03.27)
- 七世紀の須恵器「服部編年」の紹介―坏(つき)は何と呼ばれていたか―(2022.03.04)
- 挙証責任の在処―学問の進展のために―(2021.12.28)
「論理の赴くところ」カテゴリの記事
- 倭国一の寺院「元興寺」(妄想編)―詔と創建順―(2023.02.25)
- “高麗尺”と「令大尺」―「改新の詔」と「南朝大尺」―(2023.02.21)
- 肥さんの思い出(2)―「無かった」の論理―(2023.02.12)
- 肥さんの思い出(1)―真実に到達する手順―(2023.02.12)
- 倭国一の寺院「元興寺」(番外編)―「法興寺」から「飛鳥寺」へ―(2023.02.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント