七世紀の須恵器「服部編年」の紹介―坏(つき)は何と呼ばれていたか―
七世紀の須恵器「服部編年」の紹介
―坏(つき)は何と呼ばれていたか―[著書や論考等の紹介]
古賀達也の洛中洛外日記 第2686話 2022/02/19 七世紀の須恵器「服部編年」 で、「古田史学の会」関西例会で服部静尚さんが発表された飛鳥・難波・河内の七世紀の須恵器編年「服部編年」の三点の基準(次のものです)が紹介されていました。
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1.飛鳥と難波・河内は文化的に一体とみなし、これらを包含する基準とする。飛鳥編年に難波宮・狭山池を加える。
2.各編年は須恵器「杯」に集約されると見られる。これに焦点を合わせた基準とする。杯H・G・Bの数量比率を中心に。
3.考古学の所見を編年基準にする。年輪年代・干支年木簡を編年基準に。
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古賀さんは次のように評価されています。
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この三基準により各遺跡を編年すると、『日本書紀』の記事に基づいた従来の飛鳥編年とは全く異なる年代観が現れました。この新たな「服部編年」は基準が合理的で、杯H・G・Bの出土数量比率を中心に編年するという方法が簡明であり、その論理構造は強固(robust)です。論文発表が待たれます。
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私は論文発表が待てず、竹村順弘さまが撮影・投稿された次のYouTube動画を拝見してしまいました。皆さまもぜひご覧ください(録画の都合で三分割されていますが、続いている発表講演です)。
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❶孝徳・斉明・天智期の飛鳥における考古学的空白@服部静尚@20220222@県立図書情報館@古代大和史研究会@26:57@DSCN0435
❷孝徳・斉明・天智期の飛鳥における考古学的空白@服部静尚@20220222@県立図書情報館@古代大和史研究会@26:57@DSCN0436
❸孝徳・斉明・天智期の飛鳥における考古学的空白@服部静尚@20220222@県立図書情報館@古代大和史研究会@10:19@DSCN0437
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服部さんは次の「問い」を立てて、この発表中で答えを示されました。
当時の人は「坏」を何と呼んでいたのだろうか
服部さんは「笥(け)」とされました。この見解に私は全面的に同意します。理由は次の通りです。
①昔からある身近な物の名称は、昔からある名称が維持される。
②形が時代と共に多少変化していっても、当初の名称は維持される。
例:釜は今でも「電気釜」(笑)
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