岩波本『日本書紀』の間違った頭注―権威だけではだめ―
岩波本『日本書紀』の間違った頭注
―権威だけではだめ―[暦]
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野 晋 校注 『日本書紀 下』(岩波書店、岩波古典文学大系68、1965年7月5日 第1刷発行、1984年9月10日 第21刷発行)の一〇八頁に欽明天皇十五年(五五四)正月丙申条が次のようにあり、強調下線(山田による)の「閏月」に頭注番号(一三)が振られています。
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丙申(九日)に、百濟、中部木州施德文次(ちゅうほうもくらせとくもんし)・前部施德曰佐分屋等(ぜんほうせとくをさぶんをくら)を筑紫に遣(まだ)して、内臣・佐伯連等に諮(まう)して曰(まう)さく、「德率次酒(とくそちししゅ)・杆率塞敦等(かんそちそくとんら)、去年(いにしとし)の閏月(のちのつきの)四日を以て到來(いた)りしに云ひしく、『臣等、臣等は内臣を謂ふぞ。來年(こむとし)の正月を以て到らむ』といひき。如此(かく)噵(い)へども未審(いぶか)し。來(きた)るや不(いな)や。又軍(いくさ)の數幾何(いくばく)ぞ。願はくは若干(そこら)と聞(うけたまは)りて、預(あらかじ)め營壁(いほりそこ)を治(つく)らしめむ」とまうす。別(こと)に諮(まう)さく、「方(まさ)に聞く、可畏(かしこ)き天皇の詔を奉(うけたまは)りて、筑紫に來詣(まう)でて、賜へる軍を看送らむといふことを。之を聞りて歡喜(よろこ)ぶること、能比者(たぐひ)無し。此年(ことし)の役(えだち)、甚だ前(さき)より危(あやふ)し。願はくは賜へる軍を遣(つかは)して、正月に逮(およ)ばしめたまへ」とまうす。是に、内臣、勅を奉りて答報(かへりこと)して曰はく、「即ち助(たすけ)の軍の數一千・馬一百匹・船卌隻を遣(や)らしめむ」といふ。
〖原文〗(一〇九頁)
〇丙申、百濟遣中部木州施德文次・前部施德曰佐分屋等於筑紫、諮内臣・佐伯連等曰、德率次酒・杆率塞敦等、以去年閏月四日到來云、臣等、〈臣等者謂内臣也。〉以來年正月到。如此噵而未審。來不也。又軍數幾何。願聞若干、預治營壁。別諮、方聞、奉可畏天皇之詔、來詣筑紫、看送賜軍。聞之歡喜、無能比者。此年之役、甚危於前。願遣賜軍、使逮正月。於是、内臣奉勅而答報曰、即令遣助軍數一千・馬一百匹・船卌隻。
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頭注一三には「去年の閏月は十一月」とあります。何を根拠に「閏十一月」というのでしょう。
岩波本『日本書紀 下』一〇九頁の「頭注一三」(左一〇九頁の頭注、右一〇八頁の訓読文)
元嘉暦の上元(計算の起点)は、元嘉二十年(西暦四四三年)の5,703年前の午前0時の瞬間に朔(新月)で雨水(二十四節気の一つ)になった日(日干支は甲子)です(その年を0年として数えると元嘉二十年が5,703年になるということです)。季節の周期の1太陽年= 222,070(紀日)÷ 608(紀法)=365.24671日、月の盈虧(満ち欠け)の周期1朔望月= 22,207(通数)÷ 752(日法)=29.530585日となっています。
欽明天皇十五年において「去年」というのは欽明天皇十四年(癸酉五五三)です。
『宋書』「元嘉暦法」は閏年を次のようにして決めると定めています。
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推積月術:置入紀年數算外,以章月乘之,如章歲為積月,不盡為閏餘。閏餘十二以上,其年閏。
「積月」の推算方法:「入紀年数」に「章月 (235ヶ月)」を乗じ、「章歳 (19ヶ年)」で割って「積月」とする。端数(余り)を「閏餘」とする。「閏餘」が十二以上ならその年が「閏年」である。
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元嘉暦は1章の年数(章歳)を19年とし、32章を1紀(32×19年=608年)とし、6紀を1元(6×608年=3,648年)としています、
欽明天皇十四年(癸酉五五三)を計算してみます。
積年(上元から553年まで)=5,703年-443年(元嘉二十年)+553年(欽明天皇十四年)=5,813年
入紀年数(入紀積年)=5,813年(積年)÷608年(1紀の年数)=9紀(商)…余り341年(入紀年数)
積月(入紀積月)=341年(入紀年数)×235ヶ月(章月)÷19ヶ年(章歳)=4,217ヶ月(積月)…余り12/19
余り12/19 が良く分からないと思いますので、説明します。
341年(入紀年数)×235ヶ月(章月)=80,135ヶ月です。
4,217ヶ月(積月)×19ヶ年(章歳)=80,123ヶ月です。
この差80,135ヶ月-80,123ヶ月=12ヶ月が「閏餘」です。つまり、この閏餘が12以上なので、西暦553年(欽明天皇十四年)は「閏年」(13ヶ月の年)にあたります。
『宋書』「元嘉暦法」は閏月を次のようにして決めると定めています。
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推閏月法:以閏餘減章歲,餘以歲中乘之,滿章閏得一,數從正月起,閏所在也。閏有進退,以無中氣御之。
「閏月」の推算方法:「章歳(19)」から「閏餘」を減じ、余りに「歳中(12ヶ月)」を乗じ、「章閏(7ヶ月)」を満たして1を得る〔いくつ得られるか〕。正月より起算した数〔に当たる月〕が「閏月」である。閏〔閏年と閏月〕は進退(変動)があり、「中気」が無い月を「閏月」とする。
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19(章歳)-12(西暦553年の閏餘)=7
7×12(歳中)=84
84÷7(章閏)=12(正月から起算して12か月目が閏月)⇒ 閏11月
頭注一三「去年の閏月は十一月」は合っているじゃないか、ですか?
いや、違います。この正月から数えて12ヶ月目には、29日(丁巳)に中気「大寒(中)」があるのです。
「元嘉暦法」に「閏有進退,以無中氣御之。」と明確に書いてあります。そして「閏有進退,以無中氣御之。」がされていることは『宋書』本紀の暦日に登場するすべての閏月について確認しました。
『宋書』本紀にある閏月の一例(宋・孝武帝劉駿 大明二年 の閏月)を示します。
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〔前略〕
十二月己亥,諸王及妃主庶姓位從公者,喪事聽設凶門,餘悉斷。
閏月庚子,詔曰:「夫山處巖居,不以魚鼈為禮。頃歲多虞,軍調繁切,違方設賦,本濟一時,而主者玩習,遂為常典。杶檊瑤琨,任土作貢,積羽羣輕,終致深弊。永言弘革,無替朕心。凡寰衞貢職,山淵採捕,皆當詳辨產殖,考順歲時,勿使牽課虛懸,睽忤氣序。庶簡約之風,有孚於品性;惠敏之訓,無漏於幽仄。」庚申,上於華林園聽訟。壬戌,林邑國遣使獻方物。
是冬,索虜寇青州,刺史顏師伯頻大破之。
三年春正月丁亥,割豫州梁郡屬徐州。己丑,以驃騎將軍、領軍將軍柳元景為尚書令,尚書右僕射劉遵考為領軍將軍。丙申,婆皇國遣使獻方物。
〔後略〕
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宋・大明二年は西暦 四五八年です(『日本書紀』では、雄略天皇二年(皇紀一一一八年)に当たる)。この閏月(閏十二月)は、十二月己亥と三年春正月丁亥,丙申に挟まれ、閏月中に庚子,庚申,壬戌があります。
計算してみます。
積年(上元から458年まで)=5,703年-443年(元嘉二十年)+458年(宋・大明二年)=5,718年
入紀年数=5,718年(積年)÷608年(1紀の年数)=9紀(商)…余り246年(入紀年数)
積月=246年(入紀年数)×235ヶ月(章月)÷19ヶ年(章歳)=3,042ヶ月(積月)…余り12/19
余り12/19の説明です。
246年(入紀年数)×235ヶ月(章月)=57,810ヶ月です。
3,042ヶ月(積月)×19ヶ年(章歳)=57,798ヶ月です。
この差57,810ヶ月-57,798ヶ月=12ヶ月が「閏餘」です。つまり、この閏餘が12以上なので、西暦458年(宋・大明二年)は「閏年」(13ヶ月の年)にあたります。
次が、「元嘉暦」の閏月を決める計算です。
19(章歳)-12(西暦458年の閏餘)=7
7×12(歳中)=84
84÷7(章閏)=12(正月から起算して12ヶ月目が閏月)⇒閏11月←計算だけで決めてはだめ。
「閏有進退,以無中氣御之。」を無視してはいけません。
元嘉暦法による西暦458年の暦では、12ヶ月目(12月)には己亥(29日)に中気「大寒(中)」があるので閏月に該当しません。このように計算だけでは「閏11月」になるのですが、「元嘉暦法」の「閏有進退,以無中氣御之。」に従えば、中気が無いのは13ヶ月目の「閏12月」が正しく、『宋書』本紀の大明二年も「閏十二月」になっています。
問題はどこにあったかといえば、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野 晋 校注 『日本書紀 下』の一〇九頁の「頭注一三」の「去年の閏月は十一月」には、根拠が示されてなかったところ(権威主義)にあったのです。
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