無文銀銭論考の紹介―ブログ「古田史学とMe」から―
無文銀銭論考の紹介
―ブログ「古田史学とMe」から―[著書や論考等の紹介]
古賀達也氏のブログ 古賀達也の洛中洛外日記に 多元史観から見た古代貨幣「富夲銭」(第2916話 2023/01/14) が掲載されましたので、James Mac(阿部周一)氏の無文銀銭に関する論考をご紹介します。貨幣が「貝」や「石」などから「貴金属」に移行する過程では、貴金属の「地金(じがね)」の重量を価値(交換価値)として「貨幣」にしていた時代が必ずあります(貨幣経済になるのが遅かった地域は最初から非貴金属鋳造貨幣を用いることになりますが…)。また、非貴金属鋳造貨幣の価値の変動が激しい時には貴金属貨幣が復活しますし、現代でも「ブレトンウッズ体制」が崩壊する以前は、「1オンス35USドル」と「金兌換」によってアメリカのドルと各国の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保っていました(すなわち、米国は「兌換紙幣」であるドル紙幣の発行額と金保有高を一定の割合に保たねばなりませんでした)。
古代の倭国でも銀を貨幣として使用していた時代がありました。それが「無文銀銭」です。無文銀銭は一定の重量になるように鋳造されていました(少量を後から付け足したりしています)。貴金属が貨幣として用いられる背景には「国際交易」が盛んなことがあるようです。
「無文銀銭」その成立と変遷(2012年6月10日、古田史学会報110号掲載)
(↑)の見解を少し修正しています(↓)。
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