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2023年1月19日 (木)

倭国一の寺院「元興寺」(5)―伽藍配置の復原―

倭国一の寺院「元興寺」
伽藍配置の復原[論理の赴くところ][神社・寺院][多元的「国分寺」研究]

 先のブログ記事 倭国一の寺院「元興寺」(4)―名前のない伽藍配置―2023年1月14日(土)で、つい次のように述べました。
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(前略)①「新元興寺」(平城京に移築した法興寺)が「南大門・中門・金堂・講堂が伽藍中軸線上に並」んだ「縦型」であること、②古式寺院の縦型回廊は縦横3:2の比であることから、「元興寺式伽藍配置」の回廊も縦横3:2の比であると考えられます。ただ、回廊が金堂を囲っていることから、塔(おそらく五重塔)は回廊外の東側に置かれたと考えられます。回廊は当初は単廊で後には複廊となったかもしれません。
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 これでは単なる「憶測」(つまり妄想)にすぎません。事実を確認する必要があります。そこで、倭国一の寺院「元興寺」を太宰府から移築した大安寺(平城京の大官大寺)の遺跡を検討してみると、次のことが判明しました。

(1)元興寺を移築した大安寺の伽藍配置も「新元興寺」と同じ①「南大門・中門・金堂・講堂が伽藍中軸線上に並」んだ「縦型」でした。
(2)大安寺の伽藍配置も、回廊基壇(外側を測定)信濃国分寺遺跡の〇〇寺(尼寺)と同じ②縦横3:2の比(古式寺院の縦型回廊)でした(復原図をご覧下さい)。
(3)大安寺の塔院(東西両塔)の塔心々間距離が縦型回廊基壇(外側を測定)と一致していました。すなわち、大安寺は元興寺をそのまま移築したと仮定すると(後に道慈による「修造(塔の移築)」があったとしても)、元興寺の塔は双塔であった可能性が高い(つまり「塔(おそらく五重塔)は回廊外の東側に置かれた」という考えは間違いの可能性が高い)。

元興寺の伽藍配置の復原図
Photo_20230119130601

 この大安寺の伽藍配置については以前のブログでも検討していました。多少見解を修正しましたが、参考になさっていただければ幸いです。
平城京の大官大寺(3)―古式伽藍配置の元興寺―2022年2月8日(火)
平城京の大官大寺(4)―道慈による「修造」―2022年2月9日(水)
平城京の大官大寺(5)―大安寺式伽藍配置は無かった―2022年2月11日(金)

参考図(信濃国分二寺)〇〇寺(尼寺)がこの「元興寺式伽藍配置」です(塔は不明ですが)
Photo_20230119131401
僧寺の方は「古式縦型寺院
」にみられる3:2の縦横比はありません(創建時期は〇〇寺より時代が降ることを示しています)。
また、五重塔跡(水色)は金堂院の中軸線と同方位ですが、七重塔跡(ピンク色)は「正方位(真北)」なのでこれが「聖武七重
塔」と考えられます。すなわち、僧寺は既存寺院に「七重塔」を建てて国分僧寺にしたと考えられます。
妄想「信濃国分僧寺・七重塔」考―聖武・七重塔はどっち?―2019年7月28日(日)

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