« 倭国一の寺院「元興寺」(5)―伽藍配置の復原― | トップページ | 倭国一の寺院「元興寺」(7)―太宰府にあった傍証― »

2023年1月27日 (金)

倭国一の寺院「元興寺」(6)―「元興寺の伽藍配置」―

倭国一の寺院「元興寺」
―「元興寺の伽藍配置」―[論理の赴くところ][神社・寺院][多元的「国分寺」研究]

【訂正のお知らせ(2023/01/27)】
「元興寺伽藍配置」と題する次図は「元興寺伽藍配置(復元図)」の誤りでしたので、図を差し替えました。
Photo_20230127115001
【訂正のお知らせ】終わり



 倭国一の寺院「元興寺」(5)―伽藍配置の復原―2023年1月19日(木)は、次の事実から、倭京(太宰府)の「元興寺」は縦型の回廊をもつ古式寺院の特徴を備えているとし、内郭の縦横比は3:2の比率を持っていたとし、その様式をそのまま大安寺に移したとして、復原を試みたものです。また、それを検討する中で、塔の心々間距離が内郭の縦の長さと同じであったため、塔も道慈の「修造」前はその距離で倭京(太宰府)あるいは平城京(左京六条四坊)に建っていたであろうとしました(「双塔」で「新式」!)。

「法興寺(ほうこうじ)」(飛鳥寺(あすかでら))を平城京に移した「新元興寺」(注1)の伽藍配置が「「南大門・中門・金堂・講堂が伽藍中軸線上に並」んだ「縦型」」であること
② 倭京(太宰府)に存在した倭国一の寺院「元興寺」を平城京に移築した「大安寺」も「新元興寺」と同じ「縦型」であること。
「大安寺」の「南大門」(注2)と「中門」の間が狭いので「古式寺院」(注3)とみられること

元興寺の伽藍配置(復原図)
Photo_20230127115401
一部分、外郭の屈曲を左右対称になるように、修正しています

 縦横3:2の比率がこんなにもドンピシャリと適合するとは、思ってもいませんでした。しかも、内郭(回廊基壇)の外側で当てはまるのは「信濃国分寺」の「〇〇寺」(尼寺)と同じなのですから驚きました。復原に用いた図は、奇しくも森郁夫氏の「わが国古代寺院の伽藍配置」の「挿図9 大安寺伽藍配置図1:2500」(26頁)でした。
Photo_20230123132401
これは国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードできます。皆さん自身で確認できるでしょう。 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

注1 「法興寺」(飛鳥寺)を平城京に移した「新元興寺」 ‥‥‥ 『続日本紀』養老二年(七一八)九月甲寅〔23日〕条に「法興寺を新京に遷す。」(原文「甲寅、遷法興寺於新京。」)とあります。
 霊亀二年(七一六)五月に「元興寺」を倭京(太宰府)から平城京左京六条四坊に大安寺として移築した(「元興寺」が消滅した)ので、養老二年(七一八)九月に「法興寺(飛鳥寺)」を移して「元興寺」を名乗れたわけです(この順序関係は重要です)。次のブログ記事に詳しく述べています。
平城京の大官大寺(2)―「元興寺」が移築された―2022年2月7日(月) 

注2 「大安寺」の「南大門」 ‥‥‥ このもと倭京にあった「元興寺」の「南大門」は、『続日本紀』霊亀二年(七一六)五月辛卯〔16日〕条に「始めて元興寺を左京六条四坊に徙(うつ)し建(た)つ。」(原文「始徙建元興寺于左京六条四坊」)段階では文字通り「南大門」でした。しかし、「702年(大宝2年)第八次遣唐使船で唐へ渡り[1]、西明寺に住して三論に通じて、仁王般若経を講ずる高僧100人のうちの一人に選ばれた。718年(養老2年)15年に渡った留学生活に幕を閉じ、第九次遣唐使の帰りの船で帰国した[1]」(Wikipedia「道慈」より)道慈が「塔院(双塔)」を七条四坊(左京六条四坊の大安寺が面した六条大路を挟んだ南ブロック)に修造した時点で「南大門」が新造されたので、もとの「南大門」を「南中門」と呼ぶことになったものです。

大安寺の「南中門」(元興寺の「南大門」)について、詳しくは次のブログ記事をご覧ください。
“大安寺式伽藍配置”は無かった ―大安寺“南大門”、塑像の証言―2017年7月10日(月)
平城京の大官大寺(1)―南中門の塑像―2022年2月7日(月)
道慈の「修造」については次のブログ記事をご覧ください。
平城京の大官大寺(4)―道慈による「修造」―2022年2月9日(水)

注3 「古式寺院」 ‥‥‥ 「寺地」(寺の所有地)を伽藍地(聖なる施設を配置する区域)として囲う大溝・生垣・塀等を「外郭」(どんなもので囲うかは一定していません)、外郭内をさらなる聖なる区域として囲う回廊・築地塀等を「内郭」と呼んでいます。外郭内が「寺院」で、内郭内が「寺院中枢」です。
回廊等で囲った寺院中枢に塔を置く寺院を「古式」、内郭外に塔を置く寺院を「新式」と呼び分けています。
「古式寺院」には中軸線(中門心を通り内郭を東西に二分する南北線)上に中枢伽藍を配置する「縦型」と、中軸線と直行する東西線上に中枢伽藍を配置する「横型」とがあります。「古式寺院」の内郭は、「縦型」が3:2、「横型」は2:3の縦横比率を採るのがほとんど(例外は少数)です。
 「古式」は、塔を内郭内に配置しているため、南大門(外郭の入り口)と中門(内郭の入り口)の距離が狭いという特徴があります。ほとんど、この特徴で判別可能です。
古式寺院例(縦型「四天王寺」と横型「法隆寺(西院)」)
Photo_20230123132901 Photo_20230123133001

« 倭国一の寺院「元興寺」(5)―伽藍配置の復原― | トップページ | 倭国一の寺院「元興寺」(7)―太宰府にあった傍証― »

多元的「国分寺」研究」カテゴリの記事

神社・寺院」カテゴリの記事

論理の赴くところ」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

2024年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

古田史学先輩の追っかけ

無料ブログはココログ