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2023年2月12日 (日)

肥さんの思い出(2)―「無かった」の論理―

肥さんの思い出(2)
「無かった」の論理[古田史学][論理の赴くところ]

 前回(肥さんの思い出(1)―真実に到達する手順―2023年2月12日(日))、肥さんの夢ブログの主 肥沼孝治さん(「古田史学の会」会員)から学んだことの一つとして、中小路駿逸先生の論稿「『日本書紀』の書名の「書」の字について」を紹介していただいたことを述べましたが、それ以前に「『無かった』の論理」も学ばせていただきました(肥さん夢ブログの次の記事です)。いわゆる聖武天皇の“「国分寺建立」の詔”と言われている詔には「「国分寺」という言葉が1つも出てこない」という事実を指摘する記事です。

「国分寺」はなかった!2016年1月30日(土) 

 確かに「七重塔を造れ」ということは書いてありますが、「国分寺」という言葉はありません。すなわち、この「“国分寺建立”の詔」と言われてきた詔は「『七重塔建立』」の詔」だったと肥さんは結論されました(つまり、「既存寺院に『七重塔を建てて』経を納めよとの詔だった」という仮説の提示です)。これで「多元的「国分寺」研究」に弾みがついたのです(詳しくは、左記サークルのブログをご覧ください)。

 また、この「『無かった』の論理」は、史書に寺院の創建記事が無いのは、その史書を編纂した王権の事績ではなかったという仮説の提示へと導きました(「元興寺」も創建記事がありません)。

 「『無かった』の論理」は寺院だけを対象として適用されたのではありません。古代官道にも適用されました。肥さんは上記の「国分寺」はなかった!においても、次のように書かれています(付注は山田)。
…………………………………………………………………………………………………………………………

実はこれと同じような経験をしたことがある。

東山道武蔵路の研究をしていて不思議に思ったのだが,

これについての初出記事は「この道を作った」ではなく,

「771年に,コースを変更した」という記事なのだった。

「全国6300キロにもわたる日本古代ハイウェーを建設した」という記事がないのに,

そのコース変更した記事が初出とは,これは「命じた主体を隠している」と言われても

仕方がないのではないかと思う。

そして,私は日本古代ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?(注①)を書くことになった。

(拙論の中で,東山道武蔵路を作ったのは,側溝出土の土器から7世紀半ばと考えた)

注① 2012年2月10日 古田史学会報108号掲載、並びに 古田史学の会 編『古代に真実を求めて 古田史学論集第二十一集 発見された倭京――太宰府都城と官道』に再掲。
…………………………………………………………………………………………………………………………

 この肥沼さんの「日本古代ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?」に触発されて、「東山道十五国」の比定 西村論文「五畿七道の謎」の例証(2017年4月10日 古田史学会報139号掲載、並びに古田史学の会 『古代に真実を求めて 古田史学論集第二十一集 発見された倭京――太宰府都城と官道』に再掲。)を書くことができました。肥さん、ありがとう。

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コメント

 山田さんご無沙汰しています。
 昨日まで閲覧できた「肥さんの夢ブログ」が、本日急に見られなくなりました。「多元的国分寺研究サークル」も同様です。
 昨年5月に思い糖尿病で入院して、これがわかった8月には、弟さんに近況を聞いて、退院したら連絡してと確認したのですが、今になっても音沙汰無し。先日弟さんの自宅の電話に留守電を入れたのですが無回答。

 山田さんが急に「肥さんのおもいで」と題してブログを書かれたということは、何かあったのですね。
 どんな情報が入っているのかお知らせください。

川瀬健一さま
ご連絡ありがとうございます。

〉昨日まで閲覧できた「肥さんの夢ブログ」が、本日急に見られなくなりました。「多元的国分寺研究サークル」も同様です。

お知らせいただき、ありがとうございます。

〉昨年5月に思い〔重い〕糖尿病で入院して、これがわかった8月には、弟さんに近況を聞いて、退院したら連絡してと確認したのですが、今になっても音沙汰無し。先日弟さんの自宅の電話に留守電を入れたのですが無回答。

そのような事情すら存じませんでした。

〉 山田さんが急に「肥さんのおもいで」と題してブログを書かれたということは、何かあったのですね。

いえ、私は特に情報は持っていません。
ただ、夢ブログが2022年4月10日(日)より更新されておらず、メールしましたが応答もなく、一日もブログの更新を怠らなかった肥沼さんでしたから、何かは存じませんがご不幸なことがあったのかもしれないと思っておりました。
 残念ながら、今月に至るまで何の知らせも届きませんでしたので、私が覚えているうちに、肥沼さんの史学における貢献を明らかにしておこうとブログ記事にした次第です。
以上が、私が肥沼さんについて知っているすべてです。

もし、新たな情報が得られましたらご一報いただければ有難く存じます。

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