倭国一の寺院「元興寺」(妄想編)―詔と創建順―
倭国一の寺院「元興寺」(妄想編)
―詔と創建順―[妄想][論理の赴くところ][神社・寺院]
今回は、ある仮定に基づいて、「元興寺」「法興寺」「法隆寺」の創建順を論理的に求めてみます。
「ある仮定」とは、次の詔に関することです。
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《推古天皇二年(五九四)》
二年春二月丙寅朔、詔皇太子及大臣、令興癃三寶。是時、諸臣連等、各爲君親之恩、競造佛舎。即是謂寺焉。
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《仮定(妄想)》
この詔は「九州王朝(倭国)」の天子が出した。
《仮定の拠り所(妄想)》
この記事にある「寺」という語は、欽明天皇十三年(五五二)冬十月条(注①)で既に使われています(初出)。『日本書紀』にはこの記事以外に「佛舎」という語はありません(すなわち「詔」には「佛舎」とあった)。この条で「佛舎。即是謂寺焉」との説明が入るのは、この詔にしたがって諸国が(当然その「国府」に)競って建てた「佛舎」は朝庭が「~寺」と統一して呼ぶことに決めた(ここで初めて「寺」という語が「佛殿」を意味することになった)ために、「寺」の説明(「即是謂寺焉。」)が必要になった。とすれば「寺」が初出する欽明天皇十三年(五五二)十月条は、例えば「神武天皇」の「天皇」のように、遡って使われていると考えられる。さもなくば、推古二年二月条の記事は、時代が繰り下げられているのかもしれません。
さて、推古天皇二年(五九四)》二月丙寅朔の詔が、倭国(九州王朝)の天子が出したとすれば、論理的に次のようになります。
(1)「三寶を興癃せしめよ」との詔に従えば、倭国「第一(No.1)」(「元」)の寺院は当然「元興寺」を名乗る。
(2)次の(「第二」)の寺院は「元興寺」は名乗れないので、仏法を興癃する意味の「法興寺」を名乗る。
(3)さらに次の(「第三」)の寺院は「元興寺」も「法興寺」も名乗れないので、「法癃(隆)寺」を名乗る。
この順序を入れ替えると「(漢風)寺号」の説明がつかなくなります。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
注① 欽明天皇十三年(五五二)冬十月条 ‥‥‥ 岩波古典文学大系『日本書紀 下』原文は次の通り。
《欽明天皇十三年(壬申五五二)十月》
冬十月、百濟聖明王、〈更名聖王。〉遣西部姫氏達率怒唎唎斯致契等、獻釋迦佛金銅像一軀・幡蓋若干・經論若干巻。別表、讃流通・禮拜功德云、是法於諸法中、最爲殊勝。難解難入。周公・孔子、尚不能知。此法能生無量無邊福德果報、乃至成辨無上菩提。譬如人懐随意寶、逐所須用、盡依[忄靑]、此妙法寶亦復然。祈願依[忄靑]、無所乏。且夫遠自天竺、爰洎三韓、依教奉持、無不尊敬。由是、百濟王臣明、謹遣陪臣怒唎斯致契、奉傳帝國、流通畿内。果佛所記我法東流。是日、天皇聞已、歡喜踊躍、詔使者云、朕從昔來、未曾得聞如是微妙之法。然朕不自決。乃歴問群臣曰、西蕃獻佛相貌端嚴。全未曾有。可禮以不。蘇我大臣稻目宿禰奏曰、西蕃諸國、一皆禮之。豐秋日本、豈獨背也。物部大連尾輿・中臣連鎌子、同奏曰、我國家之、王天下者、恆以天地社稷百八十神、春夏秋冬、祭拜爲事。方今改拜蕃神、恐致國神之怒。天皇曰、宜付[忄靑]願人稻目宿禰、試令禮拜。大臣跪受而忻悦。安置小墾田家。懃修出世業、爲因。淨捨向原家爲寺。於後、國行疫氣、民致夭殘。久而愈多。不能治療。物部大連尾輿・中臣連鎌子、同奏曰、昔日不須臣計、致斯病死。今不遠而復、必當有慶。宜早投棄、懃求後福。天皇曰、依奏。有司乃以佛像、流棄難波堀江。復縦火於伽藍。焼燼更無餘。於是、天無風雲、忽炎大殿。
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