肥さんの思い出(1)―真実に到達する手順―
肥さんの思い出(1)
―真実に到達する手順―[古田史学][論理の赴くところ]
肥さんの夢ブログの主 肥沼孝治さん(「古田史学の会」会員)からは多くのことを学びました。
まず、第一に挙げなければならないのは、中小路駿逸先生の論稿「『日本書紀』の書名の「書」の字について」を探してご紹介いただいたことです。
肥さんの夢ブログ 『日本書紀』の書名の「書」の字について(中小路駿逸氏)2017年8月19日(土)
この論稿によって「真実なるものに到達するための平凡かつ有効な手順」を知ることができました。私は古田武彦先生の著作を愛読している“一古田ファン”にすぎません(今も)ので、古田先生の研究方法を著書を読んで知っていた(つもりになっていた)のですが、真の意味では「理解できていなかった」のです。
紹介いただいた論稿を読み、読後感想として要旨をまとめて肥さんに報告しようと思いましたが、コメントで返すには長すぎたので、ブログに掲載して読んでもらったのが次の記事です(なお、当該論文は2017年8月当時はネットで読めましたが、著作権の関係でしょう、現在ではネットでは閲覧できないようです。要旨でよければブログ記事をご覧ください)。
「『日本書紀』の書名の「書」の字について」を読んで ―中小路駿逸先生の論理の赴くところ―2017年8月19日(土)
論稿のなかで最も印象に残った言葉は、次の所でした(下線・強調等は山田による)。
…………………………………………………………………………………………………………………………
一 まず、所与の対象―この場合は史料の文辞―を観察し、そこに何があり、何がないかを見きわめ、そこにあるものをそこにあるとし、そこにないものをそこにないとする。
二 そして、その対象の示すところのものが真か否かは、右のことののちに考える。
これが真実なるものに到達するための平凡かつ有効な手順である。
…………………………………………………………………………………………………………………………
論稿のなかでも「そこにあるものをそこにあるとし、そこにないものをそこにないとする」「真か否かは、右のことののちに考える」という所に痛く感銘を受けました。この言葉に倣って試みたのが、「平城京の大官大寺」シリーズや「倭国一の寺院「元興寺」」シリーズなどで行った読解です。『日本書紀』を鵜呑みにするとかしないとかの話ではなく、そこに書かれていることを書かれているとし。書かれていないことを書かれていないとしているのです。
それ以外については「妄想」と断って述べています。
ブログ記事「「元興寺」シリーズ」(「平城京の大官大寺」や「倭国一の寺院「元興寺」」)は、肥沼孝治さんに献辞を捧げたい。肥さん、ありがとう。
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