朔望月と月朔―太陰太陽暦の日付―
朔望月と月朔
―太陰太陽暦の日付―[暦]
前回の暦カテゴリー記事 回帰年と日干支―太陰太陽暦の日干支―では、麟徳甲子元暦(麟徳暦)を例にとって、太陰太陽暦はどのように日干支を求めているかを説明しました。説明のもとにした資料は、臺北市鼎文書局(底本:清懼盈齋刻本)(後晉)劉昫撰;楊家駱主編『舊唐書』志第十三曆二「麟德甲子元曆」の次の箇所です。
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麟德甲子元曆
上元甲子,距今大唐,歲積二十六萬九千八百八十算。
推法:一千三百四十。
期實:四十八萬九千四百二十八。
旬周:六十。
推氣序術
置入甲子元積算距今所求年,以期乘之,為期總。滿法得一為積日,不滿為小餘。旬去積日,不盡為大餘。命大餘起甲子算外,即所求年天正中氣冬至恆日及大小餘。天正建子,律氣所由,故陰陽發斂,皆從其時為自。
〖意訳〗
「上元」の日干支は甲子で、麟德元年甲子年〔西暦664年〕から259,880年遡った年〔西暦-269,216年〕である。
「推法」〔一日の長さ、『新唐書』は「總法」と呼ぶ〕は1,340 。
「期實」〔回帰年、冬至から月の冬至までの長さ〕は489,428 。
「旬周」〔六十干支が一巡する干支の数〕は60 。
「氣」〔二十四節気〕の序〔並びの最初〕の求め方
甲子元〔甲子年の上元〕から今所求年〔暦をつくる年〕まで年数〔積年〕を置き、それに期〔期實、回帰年の日数〕を乗じて期總〔積年の長さ〕とする。
法〔推法・總法〕を満たすと一つとして〔数えて、その数を〕「積日」とし、〔推法・總法を〕滿たさなければ〔その余りを〕「小餘」とする。「積日」から「旬」〔旬周〕去り〔引けるだけ引き去って〕って不盡〔その余り〕を大餘〔六十干支の余り〕とする。
すなわち求める年の天正中氣冬至恆日〔平気法(平均太陽年)による天正冬至の積日〕とその大餘〔日干支を特定する数値〕・小餘〔その時刻を示す数値〕である。
天正〔冬至のある月〕を子〔子月〕に建てる〔月の名称十二支で呼ぶ。〕。氣を律する〔判断基準とする〕所由〔ゆえん〕は、つまり陰陽〔月・太陽〕・四季の日の長短が皆自然とその時〔二十四氣の時〕に従うからである。
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前回のおさらい
前回は、暦をつくる年を西暦697年(倭国の持統十一年・文武元年)と仮定して、その天正冬至(暦をつくる年の前年の冬至)の日干支の求め方を示しました。
上元(西暦-269,216年)から天正冬至(暦をつくる年の前年(696年)の冬至)までの年数(積年)269,913年に太陽年の日数をかけて、上元からの経過日数(天正積日) 98,584,313日を求めて、天正積日から干支が一巡する数60を引けるだけ(1,643,071回、98,584,260 日)引くと53日余る(98,584,313日-98,584,260 日=53日)。上元の日干支は甲子なのでこれは甲子日から53日経った日が天正冬至ということになります。天正冬至の日干支は干支表から「丁巳」と求まりました。以上は前回の「おさらい」です。
ちなみにExcel元嘉暦では、697年(丁酉年)の前年696年(丙申年)の冬至は11月19日(日干支「丁巳」、JDN 1,975,624)となっています。暦法が違っても696年の冬至(697年の天正冬至)はこの日(日干支「丁巳」、JDN 1,975,624)の近辺になるでしょう(暦の冬至が実際の冬至と大きくずれたら使い物になりません)。なお、元嘉暦では「上元」の中気が「雨水」なので、積年(上元からの経過年数)に一年の平均日数を乗じた日数(積日)だけ経過した日は「雨水」ですので、当年(丁酉年)の「雨水」は、正月21日(戊午、JD 1,975,685 )となっています。
太陰太陽暦の日付の決め方
太陰太陽暦は月の満ち欠けの周期を一月(ひとつき)としていて、新月(朔)となる日をその月の第一日(ついたち)とします。月の満ち欠けの周期(その日数を「朔望月」という)には凡そ29.27日~29.83日の幅があり、これを平均した平均朔望月は 約29.530589 日です。満ち欠けの周期が約25.53日なので暦(こよみ)の一日にぴったりとは合わず、満ち欠けが一巡りする度に新月となる時刻が約半日づつ移動していきます。したがって、太陰太陽暦のでは一月(ひとつき)が29日の月(小月)と30日の月(大月)が生じることになります(これはとてもやっかいです)。
今回は、太陰太陽暦はどのように朔(月の第一日=新月となる時刻を含む日)を求めているかを説明したいと思います。前回も言いましたが、「他人に説明するのがもっと良い理解を深める方法だ」というのが説明する動機です。ということなので、知っている方はスルーしてください。
麟徳甲子元暦では、平朔法(平均朔望月によって朔の日を求める仕方)によって朔の日(日干支)を次のように求めるとしています。
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求恆次氣術
因冬至大小餘,加大餘十五、小餘二百九十二、小分六之五。小分滿,從小餘;小餘滿總法之,從大餘一。大餘滿旬周之。以次轉加,而命各得其所求。他皆放此。凡氣餘朔大餘為日,小餘為辰也。
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さて、日干支は積年と太陽年(回帰年)から天正積日を求めて、干支が何巡かした余りで求まりましたが、朔を求めるには月の満ち欠けの周期日数(朔望月)が必要です。
麟徳甲子元暦は、一日の周期を1,340として、月の満ち欠けの平均周期(恆朔實)を39,571としています。すなわち、平均朔望月は(恆朔實)39,571÷1,340(推法)=29日 + 711/1,340 = 約29.530597日となっています。
まず、上元から天正冬至までの日数である天正積日98,584,313日は平均朔望月で何ヶ月になるかを求めます。
臺北市鼎文書局(底本:清懼盈齋刻本)(後晉)劉昫撰;楊家駱主編『舊唐書』志第十三曆二「麟德甲子元曆」には上掲に続いて次のようにあります。
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求恆次氣術
因冬至大小餘,加大餘十五、小餘二百九十二、小分六之五。小分滿,從小餘;小餘滿總法之,從大餘一。大餘滿旬周之。以次轉加,而命各得其所求。他皆放此。凡氣餘朔大餘為日,小餘為辰也。
〔求土王(土用を求める)と求沒日術(沒日の求め方)を飛ばして〕
推朔端
列期總,以恆朔實除之為積月,不滿為閏餘。滿總法為閏日,不滿為閏辰。以閏日減冬至大餘,辰減小餘,即所求年天正月恆朔大小餘。命大餘以甲子算外,即其日也。天正者,日南至之月也。恆朔者,不朒不盈之常數也。(中略)以天正恆朔小餘加閏餘,以減期總,餘為總實。
〖意訳〗
朔からの端数を計算する
期總〔積年に期實を乗じた長さの数値〕を,恆朔實〔月の満ち欠けの周期の長さ〕で除して積月〔上元からの経過月数(整数値)〕とし、〔恆朔實に〕滿たない〔期總の余りを〕閏餘とする。〔閏餘が〕總法を滿たせば〔その満たした数値(整数)を〕閏日とし,滿たさない〔閏餘の〕余りを閏辰とする。〔天正〕冬至の大餘〔日数〕から閏日を減じ、〔天正冬至の〕小餘から辰〔閏辰〕を減じれば、求める年の〔前年の〕天正月恆朔〔冬至のある月の平均朔望月(平朔法)による朔日〕の大餘と小餘が求まる。甲子から大餘を数えればその日が天正冬至なのだ。天正とは、日南至之月〔太陽が最も南(低い位置)にある月=冬至のある月〕である。恆朔とは、不朒不盈之常數〔伸びも縮みもない定数、つまり満ち欠けの周期を平均した定数〕である。(中略)天正恆朔小餘を閏餘に加えたものを期總から減じて,餘を總實とする。
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「期總(きそう)」(新唐書は「朞總」とある)は積年(上元から天正冬年までの年数)269,913年に太陽年の周期 489,428を乗じたもので、計算すると132,102,979,764 になります。これを月の満ち欠けの周期(恆朔實)39,571 で割った商が積月3,338,378で、余りが23,926 「閏餘」、これを一日の周期(推法、総法)1,340で割った商17日が「閏日」、その余り1,146が「閏辰」とあります。ここで注意しなければならないのは閏日17日の余りが1,146ありますので、17日以上つまり18日目に天正冬至があるということです。
上元は朔(新月)なのでそれから満ち欠けが3,338,378周した朔から数えて18日目が天正冬至になり、つまり天正冬至から数えて18日遡った日が朔です(すなわち天正冬至の干支番号から18引いた番号が朔の日干支になります)。つまり「丁巳」(番号53、甲子=0)から18引いた干支番号35己亥(つちのとのい)が朔のある日(すなわち月の第1日、ついたち)となります。
天正月とは冬至のある月のことで、建子とある(天正月を子月とする)ので、寅月を正始(正月)とする夏正では、天正月(子月)は11月に当たります。
天正平朔日11月1日が干支番号35己亥(つちのとのい)とわかったので、天正平朔日の大餘・小餘に朔望月の大餘29日と小餘711/1340 を次々に加えれば次々と月朔が求まります。小餘の積み重なりで29日の月か30日の月かが決まります。
697年麟徳暦平朔(儀鳳暦)の月朔
ちなみに697年8月朔の日干支は「甲子」(JDN 1,975,871 )となっています。元嘉暦では697年8月朔の日干支は乙丑(JDN 1,975,872)となっています。
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