仏教

2020年7月 1日 (水)

薬師寺・東塔―世紀の大修理―

薬師寺・東塔
世紀の大修理[古代史][仏教]

 私は以前、薬師寺「薬師寺東塔(裳階付三重塔)」の秘密― 「凍れる音楽」のリズム設計 ―というブログ記事において、白鳳文化研究会編著『薬師寺白鳳伽藍の謎を解く』(2008年5月30日、冨山房インターナショナル)13頁に掲載されている「薬師寺東塔復原正面図『薬師寺東塔に関する調査報告書』より」とある図の塔全高と各部を採寸してそれらの比を基に、裳階付三重塔の基本設計を推定しました。

 その記事のなかで、推定した設計の規則性から外れている軒先を「下がっている」としましたが、この「平成大修理」の動画により「北東の屋根の軒先が14㎝下がっている」と判明し、それは「礎石が大きく沈み込んでいる」(第一弾4:44)のと「軒先が下がっていた箇所→木材が割れていた」(第一弾8:30)からだとわかりました。推定した設計規則は間違っていませんでした。

 1300年前の職人の技術がいかに優れていたかを実感できる動画です。時間が有れば是非ご覧ください。なお、各弾にある投稿者コメント「※なお、東塔の落慶法要は新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期されています。」は省きました。

【密着】世界遺産・薬師寺 国宝・東塔大修理 第1弾 World Heritage Yakushiji Temple’s East Pagoda (Toto) Restoration
投稿者コメント
読売テレビは2009年から行われた奈良の世界遺産・薬師寺の国宝・東塔(とうとう)
平成大修理に11年にわたって密着、その貴重な映像を5回にわたって公開します。
東塔は、1300年前に建てられた当時の姿を保っている、日本を代表する木造建築です。
大きな屋根と小さな屋根が重なる三重塔で、その絶妙なバランスが作り出す美しさが
愛されてきました。
第1弾は塔の解体で明らかになった1300年の歴史です。
瓦や壁、塔を形作る1万超の木材を1つ1つ取り外していくことで、
決して見ることができなかった塔の内部があらわになっていきます。
木材のひとつひとつには、塔を建てた古代日本の技術の素晴らしさ、それを守り伝えた
人々の努力が刻み込まれていました。
こうした木造建築の根本的な修理は、百数十年に一度といった頻度でしか行われません。
貴重な映像をじっくり御覧ください。
次回、第2弾は約1週間後にアップする予定です。

【密着】世界遺産・薬師寺 国宝・東塔大修理 第2弾 World Heritage Yakushiji Temple’s East Pagoda (Toto) Restoration
投稿者コメント
読売テレビは2009年から行われた奈良の世界遺産・薬師寺の国宝・東塔(とうとう)
平成大修理に11年にわたって密着、その貴重な映像を5回にわたって公開します。
第2弾は塔の解体に伴って行われた科学的調査です。
今回の修理では、塔にどのような補強が必要なのか調べるため、
地震や風のシミュレーションが行われました。
実は、日本各地に残された木造の塔は、地震で倒れたという記録がありません。
なぜ塔が地震に強いのか…今回の調査で、塔の構造や、木材の組み合わせ方に
秘密があることが分かってきました。
地震にも、風にも負けず、1300年受け継がれてきた塔を作った
古代の知恵に最新の科学が迫っていきます。
どうぞ、ゆっくり御覧ください。
次回、第3弾は1週間後にアップする予定です。 

【密着】世界遺産・薬師寺 国宝・東塔大修理 第3弾 World Heritage Yakushiji Temple’s East Pagoda (Toto) Restoration
投稿者コメント
売テレビは2009年から行われた奈良の世界遺産・薬師寺の国宝・東塔(とうとう)
平成大修理に11年にわたって密着、その貴重な映像を5回にわたって公開します。
第3弾は塔の初層(1階)から発見された幻の色彩をめぐる物語です。
初層の天井には「宝相華(ほうそうげ)」という美しい花が描かれています。
天井を解体した時、木材の下から、1300年前そのままの鮮やかな色彩が
見つかりました。画の上に偶然、木材がかぶさり、空気に触れなかったことで、
色が守られていたのでした。
そして、色彩を科学的に分析すると、南方にしか生息しない昆虫の体液から採取される
赤紫の色「臙脂(えんじ)」であることが分かったのです。
薬師寺を建てたのは、天武天皇と、その皇后で後を継いで女帝となった持統天皇です。
二人は、日本を国際的に通用する律令国家にしたいと、さまざまな改革を行いました。
東塔が今に伝える天皇夫妻の思いをゆっくりと御覧ください。
次回、第4弾も1週間後にアップする予定です。

【密着】世界遺産・薬師寺 国宝・東塔大修理  第4弾 World Heritage Yakushiji Temple’s East Pagoda (Toto) Restoration
投稿者コメント
読売テレビは2009年から行われた奈良の世界遺産・薬師寺の国宝・東塔(とうとう)
平成大修理に11年にわたって密着、その貴重な映像を5回にわたって公開します。
第4弾は薬師寺が歩んできた復興の道のりと、今に伝える祈りの姿を追います。
薬師寺は度重なる災害や戦乱で、その多くの建物が失われ、1300年前から伝わるのは
国宝・東塔だけでした。
昭和の名僧と称えられた高田好胤管長がお写経勧進を始め、昭和に金堂と西塔が、
平成に大講堂と食堂(じきどう)が再建され、今では当初の姿をほぼ取り戻しています。
毎年春に行われる花会式(はなえしき)や、法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶として
一人前になるための試験・竪義(りゅうぎ)の貴重な映像を通じて
変わらぬ祈りの姿をゆっくりと御覧ください。
次回、第5弾が最終回です。1週間後にアップする予定です。 

【密着】世界遺産・薬師寺 国宝・東塔大修理 第5弾 World Heritage Yakushiji Temple’s East Pagoda (Toto) Restoration
投稿者コメント
読売テレビは2009年から行われた奈良の世界遺産・薬師寺の国宝・東塔(とうとう)
平成大修理に11年にわたって密着、その貴重な映像を5回にわたって公開しています。
第5弾が最終回です。ついに、東塔の塔本体の修理が完成します。
1万超の木材を厳密に調整しながら全体のバランスが美しく、
より強くなるように組み立てていきます。
また、瓦や壁、そして天人が透かし彫りにされた
薬師寺のシンボル「水煙(すいえん)」がそれぞれの職人の手によって新しくなりました。
生まれ変わった塔はどんな姿をしているのか…御覧ください。

2019年4月13日 (土)

法隆寺釋迦三尊像(中尊像)は「周丈六像」

法隆寺釋迦三尊像(中尊像)は「周丈六像」
古賀達也さまは的を射ていた[古田史学][度量衡][仏教]


 古賀達也の洛中洛外日記 第1870話が「洛洛メール便」で配信されました。ここで「丈六」という仏像が取り上げられていますが、私は古賀さまが正しいと考えます。第1870話の全文を転載します(改行を一部カット)。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1870話 2019/04/06
『法隆寺縁起』に記された奉納品の不思議(6)

 釈迦三尊像は上宮法皇をモデルとした「等身仏」ではないかとの正木さんからの指摘に答える前に、なぜわたしは『法隆寺縁起』に記された「丈六」を釈迦三尊像のことと理解したのかについて説明します。

 『法隆寺縁起』に記されたほとんどの献納品は、たとえば「丈六分」の他には「佛分」「薬師佛分」「弥勒佛分」「観世音菩薩分」「法分」「聖僧分」「塔分」「通分」などのように何に対しての施入かが記されています。そしてその順番を見ると、「丈六分」は先頭に記されています。たとえば次のようです(「丈六分」そのものが含まれていない施入例もあります)。

 「(前略)
  合香鑪壹拾具
   丈六分白銅単鑪壹口
   佛分参具
   彌勒佛分白銅壹具
    法分白銅弐具
   塔分赤銅壹具
   通分白銅弐具
 (中略)
 右天平八年歳次丙子二月廿二日納賜平城
 宮皇后宮者

  このように天平八年二月二十二日に光明皇后らから施入された献納品の筆頭の多くは「丈六分」とされており、この「丈六」を「二月廿二日」に没したことが記された唯一の仏像である釈迦三尊像と理解する他ないのです。『法隆寺縁起』には「薬師佛分」「彌勒佛分」「観世音菩薩分」とかの仏像は見えるのですが、釈迦三尊像を示す「釈迦分」という表記がないことも、「丈六」を釈迦三尊像のこととするわたしの理解を支持しています。

 『法隆寺縁起』の最初の方には当時の法隆寺にあった仏像について「合佛像弐拾壹具」とあり、その二十一体の仏像について記されています。最初の一体は「金埿銅薬師像壹具」でこれは光背銘を持つ有名な薬師如来像です。二番目に釈迦三造像が「金埿洞(ママ)釈迦像壹具」とあり、それ以外に光明皇后が「丈六分」として「二月廿二日」に大量の施入をするような発願者名などが特筆された仏像は見当たりません。こうした理由から、わたしは「丈六」を釈迦三尊像と理解しました。この二十一体の他にも献納された諸仏像が記されていますが、やはり「丈六」に相応しい仏像の記録はありません。

 他方、これは正木さんから教えていただいたのですが、法隆寺の西円堂には文字通りの丈六(座像で像高246.3cm)の薬師如来像が安置されています。寺伝では養老二年(718)に光明皇后の母、橘夫人の発願により行基が建立したとされていますが、仏像史研究によればこの薬師如来像は八世紀後半頃のものとされていますから、光明皇后らが施入した天平八年(736)の頃には西円堂の薬師如来像はまだ存在していなかったと思われます。

 更に『法隆寺縁起』には、養老六年(722)にも「平城宮御宇天皇(元正天皇)」による「丈六分」とする施入記事があることから、やはりこの「丈六」を八世紀後半頃と編年されている西円堂の薬師如来像とすることは困難と思われます。もし養老二年頃に西円堂が建立され、本尊の薬師如来像が安置されたのであれば、そのこと自体が『法隆寺縁起』に記されるはずですが、そのような記事は見えません。

 なお付言すれば、同薬師如来像の編年が八世紀初頭頃まで遡るとなれば、「丈六」の有力候補となります。この点、仏像史研究を調べてみたいと思います。(つづく)
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日本を代表する百科事典日本大百科全書19841994刊:全26巻)によれば、次のようにありました(下線は山田)。
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仏像の像高の一規準で、立像の高さが1丈6尺(約4.8メートル)ある仏像のこと。丈六という像高の規準は、経典に仏(釈迦(しゃか))の背の高さが普通のインド人の身長(4肘(ちゅう))の2倍(8肘)とあるのに基づき、中国で唐大尺(1尺=約30センチメートル)の2尺を1肘と換算して定めたものである。坐像(ざぞう)の場合は、立てば丈六ということで、半分の8尺の像を丈六像とよぶ。半丈六といえば立像8尺(約2.4メートル)、坐像で4尺の像をさし、また坐高1丈6尺の像は倍丈六(3丈2尺)というが、「ほんとうの」という意味から生(しょう)丈六像とよんだ例もある。また丈六の寸法(法(ほう)丈六という)を中国周代の尺制で解釈したものを周丈六像という。これは唐大尺(曲(かね)尺)の1尺より短い約7寸3分(22センチメートル)にあたるので、周丈六はほぼ1丈2尺になる。[佐藤昭夫]
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ここに「唐大尺」とあるのは「唐尺」のことです。

坐像(ざぞう)の場合は、立てば丈六ということで、半分の8尺の像を丈六像とよぶ」とありますので、「中尊が87.5センチ」(坐像)ですので、立像はその二倍175センチ87.5×2背が高い男子ならそのくらいの身長はあるでしょう(等身大といえる)。これが「丈六(16尺)」とすれば、1尺は10.9375センチです。

経典に仏(釈迦(しゃか))の背の高さが普通のインド人の身長(4肘(ちゅう))の2倍(8肘)とあるのに基づき」「2尺を1肘と換算して定めた」とありますから、175センチが8肘ですから、1肘は21.875センチです。「2尺を1肘と換算して定めた」のですから、1尺は10.9375センチです。このように法隆寺釋迦三尊像の中尊は「等身大像」であり「丈六像」です。

問題は1尺=10.9375センチなのですが、「経典に仏(釈迦(しゃか))の背の高さが普通のインド人の身長(4肘(ちゅう)の2倍(8肘)とある」というのは不自然であって、釈尊といえど普通のインド人の身長4肘だったはずであり、1肘は43.75センチであるはずです。「2尺を1肘と換算して定めた」のですから、1尺は21.875センチです。これは周代尺制1尺22センチメートルとほぼ等しく、したがって法隆寺釈迦三尊像の中尊像は「周丈六像」(人間なので釈尊の半分の丈六=8尺)であると判明しました。

【2019/04/27追記】
(人間なので釈尊の半分の丈六=8尺) 」というのは「立像」の場合で、法隆寺法隆寺釋迦三尊像(中尊像)は「座像」なので周尺4尺です。

以下は、Wikipediaの像の寸法が記載されている部分の抜粋です。
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【釈迦三尊像・中尊】
中尊の釈迦如来坐像と両脇侍菩薩立像が安置される。三尊全体の背後に大型の蓮弁形光背(挙身光)があり、これとは別に両脇侍はそれぞれ宝珠形の光背(頭光)を負う。銅造鍍金で像高は中尊が87.5センチ、左脇侍(向かって右)が92.3センチ、右脇侍(向かって左)が93.9センチ(以下、混乱を避けるため、左脇侍を「東脇侍」、右脇侍を「西脇侍」と呼称する)。台座は総高205.2センチ、光背高さは177センチで、台座の最下部から光背の最上部までの高さは382.2センチである[12]。

【薬師如来像】
内陣東側、木造二重の箱形台座(その形状から宣字形台座と称する)の上に安置され、宝珠形の光背を負う。銅造鍍金で像高は63.8センチ。施無畏与願印を結んで坐す如来像で、服制は僧祇支(下衣)の上に大衣を通肩に着し、胸前に僧祇支の線が斜めに見えている。
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2019年1月 2日 (水)

九州への仏教の伝来(その2)

九州への仏教の伝来(その2)
5世紀半ば以前ということに[仏教]

【訂正。仏像は摩崖仏とことなり運搬可能ですので、断言できませんでした。】

九州への仏教の伝来―内倉武久さんのブログより―無記名の読者さまから、次のコメント・ご教示をいただきました。
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対馬には興安歳癸巳という北魏の年号が台座に刻まれた仏像があるそうです。広く知られてはいないようですが。よく考えてみると大陸から新しい文物や技術がもたらされた時に九州や四国、中国地方を差し置いて畿内が先にこれらを手にするという考え方には違和感がありますね。
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北魏の年号「興安」は次の様です。「歳癸巳」とありますので、興安二年(西暦453年)ということで、5世紀半ばには九州に仏教が伝来していたことになります。ということは、もっと早くから伝来していたに違いありません。

興安 西暦  干支
元年 452年 壬辰
二年 453年 癸巳
三年 454年 甲午

2018年10月27日 (土)

今日は何の日(農暦九月十九日)

今日は何の日(農暦九月十九日)

観音菩薩の出家記念日[仏教]

 本日(20181027日)は観世音菩薩が出家した記念日だそうです。

WeChatの「モーメンツ」(中国福建省福州市旗山万佛寺にてUPされたもの)を発見しました。

「農暦」というのは「時憲暦」です。

2018年9月 5日 (水)

論理的「大乗仏教」考

論理的「大乗仏教」考

―「小乗仏教」は釈尊の教えではない[仏教]

 

 あるサイトに次のようなことが書かれていて驚いた。

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 仏教は当初から、出家による出家のための仏教という様相があったが、それが単なる出家仏教というより、碩学の碩学のための碩学の仏教となってしまった感がある。

 大乗の出現

 それに対して異を唱えた仏教徒の運動が、大乗仏教となる。出家は当時のインドであっても全ての人にできることではなかった。しかし、仏教の最終目標である苦しみからの解脱、あるいは成仏は出家に限って成就されると考えられていた。かといって、すべての人が出家できるわけではない。自分が出家しても、家族が食べてゆける者しか出家できないことになっていた。そして、出家には相応の覚悟を必要とする。また、国民全てが出家して乞食の生活をしてしまえばその国の経済は成り立たない。

出家の叶わぬ凡夫が、在家の凡夫のまま仏教の究極の理想を極められるような・・・いわば「あつかましい」運動、それが大乗仏教興起の端緒だった。

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 何に驚いたかといえば、この文章は「仏教史」を語っているかに見えるが、実は「大乗仏教は釈尊の教えではない」と解説されているのである。

 私は「仏教」そのものに詳しくはないが、論理的におかしなことはわかる。何が論理的におかしいかと言えば、釈尊が弟子を持っていたこと、その弟子たちに教えを説いていることから、仏教の教えが「出家して悟りを開くこと」を目的とするという「小乗」の教えがそもそも間違っていると言えるのだ。

 釈尊自身は妻子を捨てて出家した。世間一般から見れば「身勝手」かもしれない。しかし、今はその「身勝手さ」を非難するのは置いておこう。それを非難できるのは一切身勝手なことは行わない聖人君子だけだからだ。あなたは聖人君子ではなかろう。

 問題はこうだ。もし、釈尊の目的が「悟り」を開くことであったなら、悟りを開いた瞬間に目的が成就(成仏)できたのだから、弟子など持つ必要はなく、説法をする必要もない。

これだけで「小乗」仏教が釈尊の教えとは異なることがわかる。原始仏教の経典をもって本来の釈尊の教えとする小乗派の見解は矛盾に満ちている。

 「当初から、出家による出家のための仏教という様相があった」というのは「出家者によって釈尊の教えが歪曲された」ということなのだ。

 釈尊にとって出家者が必要な理由は何か。衆生(人びと)を救うための手足となる専従者が必要だったのだ。それ以外の理由はない。新興宗教なら家産を喜捨させるという目的は考えられるが、釈尊がそのような目的をもっていたとは考えられない。ところが釈尊の弟子でも「菩薩」となれる人物がおいそれとはいるはずもなく、多くは釈尊の弟子になれば「悟り」が開けるだろうという思惑をもって出家してきたわけである。自ずと(はなから持っていた者の)選民思想が蔓延していったのだ。小乗仏教というのはこういう発生があったと考えられる。

 「出家の叶わぬ凡夫が、在家の凡夫のまま仏教の究極の理想を極められるような・・・いわば「あつかましい」運動、それが大乗仏教興起の端緒だった。」これこそ、私は「選民思想」であると指摘する。小乗仏教の本質はこの選民思想である。大乗仏教は、仏教におけるルネサンスなのだ。

 大乗の教えは「衆生(人びと)」を救うために己は何をするべきか、この点に精進すること(「利他」の思想)を推奨している。そして大乘の教えは「方便」に結実する。自己が悟る為には「方便」など無用のものだ。「大乗」であるゆえに「方便」が必要なのだ。

 大乗経典「妙法蓮華経」に「方便品」があることがそれを象徴している。

2018年8月11日 (土)

「八正道」考

「八正道」考

とても身近で現実的な教え[仏教]

 

 仏教では、「悟り」を開くために実践することとして「八正道」(八聖道・八聖道分、八支正道・八聖道支とも)というものが説かれています。「正見」・「正思惟」・「正語」・「正命」・「正業」・「正精進」・「正念」・「正定」の八つだそうです。

 語頭についている「正」とは「正しい」という形容詞だと考えられますので、「見」・「思惟」・「語」・「命」・「業」・「精進」・「念」・「定」についての規範であると考えられます。

 

 私はサンスクリット語やパーリ語などについては、少しも学んだことがありません。ですから、サンスクリット語やパーリ語で書かれていた仏典は正しく「中国語(漢文)」に翻訳されたと考えて、仏典の熟語や文章を漢字辞書を引きながら読解しています。どうしても分からない場合にのみ、仏教の専門家の解説を読むことにしています。これら「見」「思惟」「語」「命」「業」「精進」「念」「定」について辞書を引いて、判断してみました。【】が私の解釈(翻訳)です。

 

「見」:眼で見る。見抜くこと。観察して把握すること。見識・見解の「見」。【観察】

「思惟」:思う、考慮、想念、思路、思考、思考方法。【推論】

「語」:話すこと。説くこと。語ること。【発言】

「命」:生命、生活能力。さだめ(運命)。【生き方(生活)

「業」:行い。【行為】

「精進」:努力する。【努力】

「念」:常々想うこと。信念、観念、念頭。【観念(思想)

「定」:変更しない、不動。確定させる。局面が安定する。予め決めてある。【不動心】

 

 物事を正しく観察すること(「正見」)、正しく推論すること(「正思惟」)、正しい発言をすること(「正語」)、正しい生き方(生活)をすること(「正命」)、正しい行為をすること(「正業」)、正しい努力をすること(「正精進」)、正しい観念(思想)を持ち(「正念」)、正しい不動心をもつこと(「正定」)、この八つを行えば「悟り」は開けると教えていると考えられます。このように解釈すると、「悟り」を開くのが難しいのは「八正道」を行うことが難しいからだと考えるしかありません。

 これを裏返せば、私たちは普段、物事を誤って受け取り、間違って推論し、正しくないこと(嘘や間違ったこと)を言い、健康的とは言えない生活をし、間違った方向に努力をし、誤った観念を頑なに守っているということなのかもしれません。

 そんなことは「分かっちゃいるけどやめられない」、または、「分かっていないことに気付く必要もある」のかも知れません。

 

 「仏教」はとても身近で現実的なことを説いていました(しかしこれを実践するのは難しいです)。仏教を哲学的に説いて難しくしているのは誰なのでしょうか?

 

 ただ、「どうであれば正しいのか」というのはとても難しい問題だとは思います。

 

「八正道」には関わりませんが、「悟り」に関しては、「悟らねばならない」と考えるのは「悟り」には決して至らない(永遠に悟れない)のではないでしょうか。それは「正念ではない」と私は考えます。

2018年7月31日 (火)

観世音菩薩の成道日

観世音菩薩の成道日

―唵嘛呢叭吽―[仏教]

 

本日(旧暦六月十九日)は観世音菩薩の成道日(悟りを開いた日)という。

この日には慈悲の真言「六字大明陀羅尼」(観音真言、六字真言とも)「オーン マニ パトメー フーン」を三唱するようだ。

中国語訳は「[口翁]()嘛呢叭咪吽」。

オン マニ ペ メ フン

 

観世音寺でも旧暦で行っているのだろうか?

2018年2月20日 (火)

深い思索に基づく仏教は科学的

深い思索に基づく仏教

―「十如是」と「因果応報」―

 

十如是

 仏教に「十如是」という言葉があります。ものごとを観察する(実相をみる)ときの指針です。この「十如是」を仏教の“教義”(一つの解釈)に依らず、漢文の仏典はサンスクリット語を漢訳したものという観点から、漢字の意味だけから翻訳してみました(“教義”からみれば“異端”の解釈かも知れません)〔頁番号は北京・商務印書館編新華字典(東方書店、2000年)による。〕

 

①如是相:「相」xiang1P.533、❷看。「見かけ(figure)」です。観察で得られる「特徴」。

②如是性:「性」xing4P.546、❶性質。「本来備わっている性質(character)。」

③如是体:「体()ti3P.486、❷本身。「本体・実体(entity)」。後で説明を試みます。

④如是力:「力」li4P.293、❸力。「事物に作用して状態を変化させる原因(power)」。

⑤如是作:「作」zuo1P.665、❶與起。「作用(変化を発生させる働き(双方向))」。

⑥如是因:「因」yin1P.582、❶原因。

⑦如是縁:「縁」yuan2P.603、❷過去宿命論者指人与人的遇合或結成関係的原因。

                「人と人が出合い結びつくこと(関係)の過去の原因」

⑧如是果:「果」guo3P.175、❷結果。

⑨如是報:「報」bao4P.17,18、❹回答。由于使用別人的労働或物件而付給的銭或実物。

      「報酬(他人の労働や物を使ったことで給付する金銭や現物)」=「報い」、「以恩報仇」。

⑩如是本末究境等:「本」ben3P.21、❸「中心的,主要的」。「末」mo4P.348❶杪,,先端,跟“本”相反。「究」jiu1P.248、推求。「境」jing4P.247、❶彊界。「究境」1.副詞,到底。2.結果。「本末究境等」とは「本も枝も等しく追及する」

 

①その特徴は何か。

②本来ある性質は何か。

③実体は何か。

④どのような力があるか。

⑤何の何処にどんな作用をするか。

⑥その原因は何か。

⑦それらの関係が起きた過去の原因は何か。

⑧その結果はどうか。

⑨その原因に対応する報いは何か。

⑩主要でないと思われるところも等しく追及したか(「真実は細部に宿る」から)。

 

 とても科学的なアプローチです。仏教は、“奇跡”や“超能力”を教義の根幹にする“オカルト宗教”ではありません。深い思索に基づいているのです。

 

難解な「如是体」

 さて、置き去りにした「体」=実体(entity)の説明を試みましょう。「体」とは「本体・実体(entity)」のことです。このように説明されても分かるはずはありません(当然です)。

 貴方の「本体・実体(entity)」とは何でしょうか。「見かけ(figure)」ではありません。「本来備わっている性質(character)」も実体ではありません。それは貴方の属性です。「持っている力(能力)」も実体ではありません。力を持っている貴方が「実体」です。「貴方の実体」とは、「貴方に付随する属性や貴方の持っている能力ではないもの、他の誰でもない貴方であるもの」と考えられます。これでも意味不明です。「~ではないもの」と定義しても定義したことにはなりません。個体の実体を論じようとするなら、まず個体を特定できなければなりません。

 

実体とは何か

 以前のブログ記事

「太陽と海の教室」はおもしろい―よく生きるためにー

https://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2017/09/post-979a.html

にこういうシーンを書いたのを覚えてらっしゃいますか?

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男子「なんなんだよ、あんた。」

謎男「「なんなんだよ」って?」

男子「「誰だ?」って聞いてんの。」

謎男「誰だ?」考え込むふりをする。

・・・

謎男「難しい質問だな。」

男子「どこが難しいんだよ。」

謎男「いや、でも、いい質問だよ。自分が誰なのかを証明すんのは難しい。でも、お前たちがそう言うんだったら考えてみよう。」と考え込むしぐさ。

男子「なにわけわからないこと言ってんだよ。」

男子「名前を言えばいいんだよ、名前を!」

謎男「鈴木一郎。」

男子「鈴木一郎。」と鸚鵡返し。

謎男「と、そんな嘘の名前を言われたとしてもだ、」

男子「嘘なのかよ。」

謎男「名前聞いて、俺の何がわかる?」「ああ、鈴木さんかぁ。それだけで終わる。」

女子「じゃあ、職業を言えばいいじゃないですかっ。」

謎男「職業ね、一理ある。」

謎男「でも、職業だけでその人は信用できるか?」

・・・

謎男「悪い警官もいれば、心優しい海賊や泥棒だっているだろ?」

女「ジャック・スパロー」「ルパン三世」思わず浮かんだ名を挙げてしまう。

謎男「そう、」したり顔に相槌を打つ。

謎男「たとえお前たちが大統領夫妻だとしてもだ、」

「普通に高校生です!」声がそろう二人。

謎男「良い高校生か、悪い高校生か。」

謎男「良さそうに見えて本当は悪い高校生なのか、悪そうに見えて本当は良い高校生なのか。」

男子「わけわかんねえよ。」話の展開に不満顔である。

謎男「だろ?」おかまいなく続ける。

謎男「名前や職業でその人が誰なのかは、『わけわかんねえ』なんだよ。」

・・・

謎男「お前たちは誰だ?」

男子「だめだ。相手すんな。行こう。」匙を投げる高校生二人。

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この「謎男」が「名前や職業でその人が誰なのかは、『わけわかんねえ』なんだよ。」と言っていますが、彼が問題にしているのが「実体」なのです。名前や職業を聞いて俺の何がわかる?と言っていますが、この「俺の何」の「何」の中に「実体」が含まれているのです。「俺の何」の中には「性質」も含まれていますのでそれは除かねばなりません。「自分が誰なのかを証明すんのは難しい。」と言っていますが、身分証明書で個人は特定(証明)できるでしょう。住所・氏名・生年月日・職業(役職)などが書かれているとしましょう。しかしこれらは彼の実体ではありません。彼を特定できる個人情報(つまり属性(attribute))に過ぎません。

 「私の実体はこれこれである」と定義できるものなのでしょうか。哲学用語では「実体」とは「真に存在するもの」だそうで、もしこれが物質や法則であるとしたら、私の実体も貴方の実体も同じになりわけわかりません。このような議論は無益に思えます。

 ITの分野では、哲学的な定義では「処理」できませんので、何がentity(実体)であるかわからなくても処理できるようにしています。つまり定義された属性の集合で個体が特定できる場合、entityは、その「属性の集合で特定された何か」だとして処理します。人であれば、住所・氏名・生年月日・職業(役職)その他の情報により、人類の中からただ一人の人物を特定できる場合、情報の集合によって特定された個人から特定するために使用した情報(属性)を取り除いたものがentityです。そうすると、特定するための情報はすべて取り除かれてしまいますから、箱に個人を特定できる情報(属性)が入っていると考えると、属性(情報)はすべて取り除かれてしまいますので、残るのは箱だけになります。この箱がentityなわけで、entityは情報がempty(空)だというダジャレになります(なんのことやら)。

 おそらく、仏教の教義はこのわけのわからない「体(本身・本体・実体)」をどうとらえるか、という部分を巡って議論されるのではないでしょうか(他は議論の余地がありませんから)。「entity(実体)はempty(空)」ということが「色即是空」に関わっているのでしょうか。私には分かりません。

 「十如是」のなかで三番目の「如是体」が最も難解でわけわからないものでした。

 

因果応報

 「因果応報」という言葉は『大慈恩三蔵法師傳』にあるそうです。人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあることで、現在では悪い方に用いられることが多いそうです。「悪い方に用いられることが多い」というのは立派な理由があります。

 悪い行いには悪い報いがあるのは真理ですが、よい行いをすればよい報いがあるというのは真理ではありません。反証一つで足ります。「人を信じる」のはよい行いだとしましょう。しかし詐欺を働く悪い奴がいたらどうなりますか。悪い結果がでるでしょう。

 つまり、自分自身だけで完結する単独プロセスであればよい行いをすればよい報いがあると言えますが、他者が関わるプロセスにおいては、そんな保証はないから、よい行いをしてもよい報いがあるとは限らないのです。

 受験などの競争関係においても同様です。勉強しなければ落ちるとは言えますが、勉強したから合格するとは言えないのです。

 だから、「悪い方に用いられることが多い」というのは正しい使い方なのです。ただ、「よい行いをしましょう」という主旨の説教をする場合は、「よい行いをしてもよい報いがあるとは限りません」では説得力に欠けます。「よい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」というのは宗教上の「方便」なのでしょう。でも人々は経験則で「よい行いをしてもよい報いがあるわけではない」ことは既に知っていますから、この「方便」は通用し難いのです。

 「因果応報」というのは「悪い行いをすれば、その悪い行い(の性質や程度)に応じた報いがある」と解釈するべきだと考えます。この解釈は、ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を。」に近いものですが、本来の「因果応報」は「因果律」(原因があれば必ずその結果がある)の補足説明程度のものではないでしょうか。

 「因果律」は、とても科学的なものの考え方です。科学は「因果律(仮説)」を前提にしなければ成り立ちません。はるか昔に仏教は「プロセス理論」を確立していたのです。

2017年11月13日 (月)

私見「仏教の本質」

私見「仏教の本質」

― 慈悲の心による方便 ―

 

 信心無き者が「仏教の本質」などを語るのは「不届き千万」であるとは思う。しかし、次の親鸞の言葉を解釈するとそう思うのである。

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みだ佛は、自然(じねん)のやう〔様〕をしらせむれう〔料〕なり。」阿弥陀仏というのは、ひっきょうして、大自然の姿(ありかた)をわたしたちに知らせるための道具である。

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 「なぜ私だけがこんなつらい思いをしなければならないのだ」と苦しむ人々を救う(「諸行無常」を悟らせる)目的のために阿弥陀仏を説くということだと理解した。

仏教の教義はキリスト教などの全能の神など信じておらず、ただただ「慈悲心」によって人々を救おうとする教えなのだと思う。仏教の経典自体が「方便」なのだと思う。「諸行無常」を悟るには、頭で考えても悟れない。悟る(体得する)手段を何にするかによって宗派が分かれているのだと思う。「慈悲心」が仏教の核心で、経典自体が「方便」ではないだろうか。これはやはり信心無き者の「不届き千万」な説なのだろうか。

 

これだけは言えることだ。

信じる者には「阿彌陀如来」は存在する。存在しなければ信じる者が救われないから。

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