異変と歴史

2020年3月11日 (水)

今日は何が起きた日?―東日本大震災を忘れない―

今日は何が起きた日?

東日本大震災を忘れない―[歴史]

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 東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である[1]。東日本各地に大きな揺れを引き起こし[2]、大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。

発生した日付から3.11(さんてんいちいち[3][4])と称することもある。(ウィキペディア「東日本大震災」より)

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 Yahoo!Japanの検索サイトhttps://search.yahoo.co.jp/)で「3.11」を検索してください。次の画面が表示されると、1人につき10円Yahoo!Japanから復興支援のために寄付されます。

3.11 検索は応援になる
311

2017年11月22日 (水)

紀元前八世紀の気候変動(JamesMacさまの論考紹介)

紀元前八世紀の気候変動

― 全地球的な気候変動起因説の紹介 ―

 

紀元前八世紀の気候変動についてのJamesMacさまの連続論考をご紹介いたします。

紀元前八世紀という時期
http://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/7103f16e4dd324e74a6e31f639dc7fad

紀元前八世紀という時期(続)http://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/a261f1b5c93c1e0a0f0f102b704cbc7e

紀元前八世紀という時期(続の続)http://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/6c3e58363560b1439ae4175bd19c60fc

紀元前八世紀という時期(続の続2)http://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/4909411344feaf8e950bb6094fafc745

紀元前八世紀という時期(補足)http://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/c4ae92daec261f2121b4c2fcb1dc7ceb


これらの論考の内容も大変興味深いものですが、「紀元前八世紀という時期(補足)」の中の次のご見解に共感を覚えました(抜粋です。下線はわたしによるもの)。

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まだまだ知見に入った文献は少量ですが、大勢として「紀元前八世紀」付近に大規模な気候変動があったらしいことは確実であると思われますが、他方古代ギリシャを専門とする学者達にはそのような視点が欠落しているように見え、文学的観点からの理解から脱していない例が多く見られるようであり、問題の矮小化が行われているように見えます。

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「古代ギリシアを専門とする学者達」に限らず、「わが国の古代史を専門とする学者達」と置き換えても成り立つのではないでしょうか。

 『古事記』や『日本書紀』などを「文学的観点からの理解から脱していない例」はしばしば目にしています。これからもそういった解釈があれば指摘したいと思っています。

 古代史料は「歴史学」の対象です。歴史学は真実を求める学問です。真実を追求するためには「文学」も扱わねばならない学問です。

勿論、古代史料も当然「文学」の対象ですが、「歴史学」が「文学」に引きずりまわされてはなりません。

2017年10月 1日 (日)

津波・銅鐸・「高地性集落」―James Macさまの論文のご紹介―

津波・銅鐸・「高地性集落」

James Macさまの論文のご紹介―

 

 James Macさまのすごさについては、「肥さんの夢ブログ」の肥さんが以前に、何か重要なテーマの記事を出すとJames Macさまから「以前にもそれについて書きましたが…」みたいなコメントを頂くと書かれていたように記憶しています。

今回も、私が「地震の歴史」を掲載すると間髪を置かず、次の論文が掲載されました。三題噺ではありません。「目から鱗」の学術論文です。参考文献も詳しく掲載されています。

「異変と歴史」カテゴリーでの一押し論文です。是非、是非、ご覧ください。

 

James Macさまのブログ 古田史学とМ

「高地性集落」と津波の関係 ―銅鐸の変化とともにー(2017年9月30日)

http://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/989208bbf7e02bc3fb583caf49a681f8

2017年9月29日 (金)

地震の歴史

地震の歴史

―日本列島は「地震列島」―

 

わが日本列島における地震(+噴火)を調べてみました。

抜け落ちている地震があるかも知れません(“自信”なし)。

 

五世紀

430年頃:三陸から房総。M(マグニチュード)9級、超巨大海溝型地震及び津波。

宮城県気仙沼市大谷海岸で津波による堆積物発見。869年の「貞観地震」と2011年の

「東北地方太平洋地震」と同程度の規模だったとみられる。

六世紀

599(推古七)年4月:「推古地震」。M7級。大和国。『日本書紀』初見。

七世紀

679(天武七)年12月:「筑紫地震」。M.5~7.5級。筑紫國で幅二丈、長さ三千丈の

 地割れ(『日本書紀』)。水繩断層の活動による内陸地震とみられる。

684(天武十三)年10月:「白鳳地震M 1/4Mw8~9)級。土佐で津波。田園約12

k㎡が海面下に(『日本書紀』)。

701(大宝元)年3月:「大宝地震」。丹波で三日間(『続日本紀』)。若狭湾の冠島と沓島

 が海没したと伝えられるが、疑問あり。

奈良時代(710年~794年)

715(和銅八)年7月4・5日:「遠江國地震」。M.5~7.5級。正倉47棟が倒壊。

天竜川が塞き止められ、数十日後に決壊して洪水(『続日本紀』)。

734(天平六)年4月:「畿内七道地震」。M7級。生駒断層直下型。誉田山古墳一部崩壊。

745(天平十七)年4月:「天平地震」。M.9級。美濃地方で地震。天皇平城京に復都。

 養老断層の活動(天平地震、1586年天正地震、1596年慶長地震)とする説もある。

762(天平宝字六)年5月:M7以上級。美濃・飛騨・信濃で地震(『続日本紀』)。

平安時代(794年~1185年)

797(延暦十六)年8月:「南海トラフ地震」。

800(延暦十九)年:富士山噴火。

818(弘仁九)年7月:「弘仁地震」。M.9級。北関東で死者多数(『類聚国史』)。

827(天長四)年8月:京都(『類聚国史』)。

830(天長七)年1月:M7~7.5級。出羽(『類聚国史』)。

841(承和八)年5月:「伊豆地震」。M7級。

850(嘉祥三)年10月:「出羽國地震」。M7級。

863(貞観五)年6月:「越中・越後地震」。

864(貞観六)年5月:富士山噴火・阿蘇山噴火。

867(貞観九)年10月:「陸奥國大地震」。

868(貞観十)年7月:「播磨國地震」。M7台。兵庫県山崎断層帯の活動とみられる。

869(貞観十一)年11月:「貞観地震」。M.3~8.6級。陸奥國ほか。多賀城損壊。

 「貞観津波」の被害甚大、死者1000人。

878(元慶二)年9月:「相模・武藏地震」。M.4級。

880(元慶四)年10月:出雲。M7級。

886(仁和二)年5月:伊豆諸島噴火。

887(仁和三)年7月6日:京都、越後西部。津波で溺死者1000人。

         7月30日:信濃北部(日付誤記で存在しないとの説あり)。

         7月30日:「仁和地震」。M8~8.5級。全国(津波堆積物からM9級

との説もある)

十世紀以降は省略しました。こんなところに原発をつくるのは“狂気の沙汰”です。

 

【『日本書紀』原文】(「筑紫地震」と「白鳳地震」のみ抜粋)

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《天武天皇七年(六七八)十二月》是月、筑紫國大地動。地裂廣二丈、長三千餘丈。百姓舍屋、毎村多仆壞。是時、百姓一家有岡上。當于地動夕、以岡崩處遷。然家既全、而無破壞。家人不知岡崩家避。但會明後、知以大驚焉。

 

《天武天皇十三年(六八四)十月己卯朔》壬辰14日〕、逮于人定、大地震。擧國男女叺唱、不知東西。則山崩河涌。諸國郡官舍、及百姓倉屋、寺塔神社、破壌之類、不可勝數。由是、人民及六畜、多死傷之。時伊豫湯泉、没而不出。土左國田菀五十餘萬頃没爲海。古老曰、若是地動、未曾有也。是夕、有鳴聲如鼓聞于東方。有人曰、伊豆嶋西北二面、自然増益、三百餘丈。更爲一嶋。則如鼓音者、神造是嶋響也。…………………………………………………………………………………………………………

2017年9月28日 (木)

エピデミックはいつ頃だったか? ―James Macさまのブログ記事のご紹介―

エピデミックはいつ頃だったか?

James Macさまのブログ記事のご紹介―

 

James Macさまのブログ 古田史学とМに次の論考が掲載されましたのでご紹介いたします。

 

「敏達紀」と「欽明紀」の類似と年次移動について

http://blog.goo.ne.jp/james_mac/e/1fd85bd6321b5cd3f2a48907e55f1fea
『請観音経』、『伊豫三島縁起』、『隋書』、「四寅剣」、年号「金光」、「敏達紀」と「欽明紀」“仏教受容トラブル”などから、「天下熱病」(疫病のエピデミック)がいつ頃だったかという論考です。是非、ご覧ください。

 

“異変”が歴史に与える影響はとても大きく、重大な転換の引き金になることも多くあります。一言で“異変”と書きましたが、次のようなものがそれにあたるでしょう。

(1)天変地異

①天体によるもの(天文観測などでわかる)

日蝕・月蝕、超新星・彗星・赤気(低緯度オーロラ)出現など。迷信的影響を及ぼす程度。

②地殻変動によるもの

地震・津波・土砂崩れ、火山の噴火、火山灰による不作・飢饉など。人的被害が甚大。

③異常気象によるもの

強大な台風、洪水、干ばつなどによる不作・飢饉など。人的被害が甚大。

(2)疫病(細菌やウィルスによるもの)

④黒死病(ペスト)、豌豆瘡(もがさ、天然痘)など。甚大な人的被害で影響が大。

 

以上のような異変と歴史の関連を考える記事カテゴリーとして「異変と歴史」を新設しました。

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