考古学

2017年10月11日 (水)

土器編年は半永久的に見直されない

土器編年は半永久的に見直されない

― 考古学の不毛 非科学的編年 ―

 

川端俊一郎著『法隆寺のものさし』に次のように書かれています。

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 五重塔中心柱の伐採年

〔前略〕

平成一三年(二〇〇一年)二月、当時国立の奈良文化財研究所が記者会見を開いて、五重塔の中心柱の伐採年は西暦五九四年と断定できることを発表した。年輪年代学による研究成果である。〔後略〕

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これを下記資料の116頁「3建築部材の年輪年代 e国宝法隆寺五重塔」で確認することにしました。

年輪に歴史を読むー日本における古年輪学の成立―

(奈良国立文化財研究学報 第48冊、2016.07.07

http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search?all=%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA%E4%BA%94%E9%87%8D%E5%A1%94%E5%BF%83%E6%9F%B1%E3%80%80%E4%BC%90%E6%8E%A1%E5%B9%B4&include_file=include 16623_1_年輪に歴史を読む-日本における古年輪学の成立-.pdfというファイル。上記からダウンロードできます。)

すると、次のように書かれていました。強調はわたしによるものです。

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計測年輪層は351層、ヒノキの暦年標準パターンEとの間で照合が成立し、それが241年から591年に形成された年輪であることを確認した。ただし、Cタイプであって、削り落とした心材外縁部分と辺材部の年輪数が不明であるから、原木が591年以降に伐採された、とは言えるが、伐採年を厳密に確定することはできない。しかし、心材外縁部分と辺材部が除去されていることを勘案すると、法隆寺五重塔は推古天皇(在位592628年)の時代に創建されたものでない蓋然性が高い、といってよいであろう。

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 「Cタイプ」とは「周辺部を完全に削り落とした試料」のことです。西暦五九四年と断定できる」という発表は、なにか騙されたような気がする発表です(予算獲得に使った?)。

 発表内容の適切性はともかく年輪年代学は使えるものでありそうです。

【追記】(2017.10.12

James Mac さまから下記のコメントを頂きましたので、京都大学の試料に「三年分」とわかる「樹皮直下」の部材が残っていることが「軟X線」を使用した観察で確認されて「五九四年」という伐採年が確定したというのは事実でした。謹んで訂正いたします。

なお、James Mac さまのコメントは次の通りです。

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山田様が御覧になった「奈文研」の報告はその発行年月日から一九九〇年八月三十一日のものとわかります。とすれば二〇〇一年に出た報告と食い違っているのは当然です。当初「五九一年」という最外輪の年代が報告されたのは「一九八七年」ですから、この「一九九〇年」という年次報告はその結果に基づいているものです。しかし、その後「白太」と呼ばれる「樹皮直下」の部材が残っていることが「軟X線」を使用した観察で確認され、それが「三年分」と計測された結果、「五九四年」という伐採年が確定したものです。それが「二〇〇一年」のことですから、「年輪年代測定法」への疑いはその時点で晴れていると思えます。(ちなみにこの奈文研の三谷光谷拓実氏〔誤記訂正〕による年輪年代法をむやみに疑う人がいますが、彼の努力を良く理解した上でのことであればまだ理解できますが、中には科学的批判とはかけ離れた誹謗中傷と何ら変わらないものも多く、(それら全てがそうとは思わないものの)土器編年研究者からかなり怨まれているようで、慨嘆せざるを得ません。)

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【追記】(2017.10.13)
James Mac さまからコメントで資料のご提示がありましたので本文に転載します。

http://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/309/1/BA67898227_2001_032_033.pdf



さて、今、個人的に「古田史学会報」を読むという作業をしているのですが、問題が「編年」の方にあるという報告を会報に見つけました。法隆寺五重塔心柱伐採年の年輪年代学による断定発表の一年前です。邪推の得意な私によれば、この頃すでに法隆寺心柱の測定がなされていたのではないかと思われます(もちろん邪推です)。

 

年輪年代学は、過去をどこまで語れるか

奈文研国際シンポジウムに参加して

(平成十二年二月十八日・十九日、奈良県歯科医師会館)

生駒市  伊東義彰

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou37/kaihou37.html

とても勉強になった報告でした。注目された箇所を抜粋します。できれば全文をお読みください。

 

「大阪府の池上・曽根遺跡で出土した巨大木造建築の柱根が有名で、前五二年と測定されたことはご存知の通りです。柱穴から一緒に出土した土器は、近畿の土器編年からすると弥生中期後半の五〇年ぐらいのものなので、建物もそのころに建てられたのではと推定され通説化されていたのに、それを約一〇〇年も遡らせてしまったのです。」

 

「ここで気になることがあります。大型建物柱穴から出土した土器も年代が約一〇〇年遡るわけですから、それに基づいた土器の編年見直しがどうなっているかということです。」

 

「弥生時代の区分はともかく、年代的にはどうなっているか、気になって仕方がありませんので、池上・曽根遺跡の隣にある「弥生博物館」と、柱穴出土土器を保管している「和泉国歴史館」に訊ねてみました。両館とも学芸員の方が丁寧に説明してくださり、改めて感謝の意を表する次第です。両館とも、ほぼ同じ説明でしたので、簡単に要約します。

 ◎印弥生中期の終わりを約一〇〇年遡らせ、その分中期の期間を短縮し、後期の始まりを早くするとともに、後期の期間を長くする。

 地域全体の土器編年見直し作業は、現時点では行われていない。見直すかどうかを専門家が研究・議論している最中である

 ◎各地方・地域との横の繋がりも同時に検討しなければならないので、池上・曽根遺跡だけの問題として扱うのは難しい。

 要約すると以上で、予想していたとおりの説明でした。期待してはいませんでしたが、まどろっこしい思いにとらわれたのは事実です。

 年輪年代測定法により測定された事例で、考古学・歴史学に関連したものとして、大阪府の狭山池出土木樋(六一六年、一六〇八年)、山口県の法光寺(一一九六年)、円空仏の真偽(江戸初期の臨済僧で、仏像十二万体を作ったといわれる)などのほか、尼崎市にある弥生中期遺跡から出土した巨大建物(池上・曽根遺跡のものより大きい)柱根の、外側がちょっと腐っていたが、前二四五年と測定されたものがあります。この通りの年代だとすると前三世紀、つまり弥生前期のものだということになり、年代や時代区分が大きく遡ることになります。従来、弥生時代の遺跡・出土品の時代区分や年代は、同時に出土した土器を中心に、その地域の土器編年に当てはめて推定されています。土器の使用年数や地域間伝播の年数、土器の性質(例えば人の好み)などを考えると土器そのものから年代を割り出すことは、文字による記録でもない限り不可能です。ところが、年輪年代測定によると、木材の伐採・枯死年代が年単位、場合によっては季節・月までもが測定できるそうですから、土器編年に基づくものとは、その考え方、科学性、正確度において次元そのものが異なっていることをはっきり理解できました。」

 

土器の相対編年と日本書紀による飛鳥編年は信用できない

朱字で示した学芸員の説明(要約)を論理的に考えてみましょう。

①土器編年を見直すかどうかは専門家が研究・議論している最中である。

②地域全体の土器編年見直し作業は、現時点では行われていない。

(個別遺跡についての年代訂正だけは行う。)

③各地方・地域との横の繋がりも検討しなければならない。

ということから、論理の筋道と辿り着く結論は、次のようになります。

 

年輪年代学による成果は

❶個別遺跡の年代訂正に使われる。

❷土器編年を見直すことは「専門家」が研究・議論する。

❸土器編年の見直しには各地方・地域との繋がりの整合性が必要である。

 

結論

よって、「現在の編年が定点としているすべての遺跡の年代が年輪年代学その他の科学的成果によって訂正された後でなければ、“専門家”による土器編年の見直しはなされない。

この“専門家”とは現在の編年を作成された方々です(爺の“老婆心”で書いています)。

 

この論理から考えると土器編年の見直しは半永久に行われないことになります。これだと、現在の編年が全く使い物にならないことが明々白々になれば、そこで編年を“見直す”ということになります。このようなことを「見直し」とは言いません。「見直し」とは不具合がでたその時にその原因がどこにあるかを確認して基準・標準などに修正を施すことを言います。

見直しがなされない「飛鳥編年」を鵜呑みにするのはやめることにしました。

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