見直した出版記念講演細目
―見直した講演細目と時間配分―[作業日記]
太宰府を防衛するための土塁、山城(朝鮮式と神籠石系)、官道の三者関係(つまり「太宰府の防衛体系」)を盛り込んだ講演内容と時間配分を次のように策定しました。配布チラシは変更対象ではありません。あくまでも講演細目の見直しです。
『発見された倭京―太宰府都城と官道―』出版記念講演会
配布チラシ
第二特集「九州王朝の古代官道」(13:20~14:40)
「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」(肥沼、13:20~13:45)
上記の講演内容は肥沼さんにお任せしている。
「全ての官道は太宰府に通ず」(山田、13:45~14:40)
令制日本国の「五畿七道」……10分(13:45~13:55)
・令制「七道」(どの国が「何道」に属しているか)
・蝦夷の領域
・東山道はどんな役割をもっていた官道か
・騎馬と牧場(まきば)と東山道
・従来説では景行紀「東山道十五國」は説明不能
西村論文「五畿七道の謎」の解説……10分(13:55~14:05)
・北海道が欠けた令制「五畿七道」
・倭王武の上表文「渡平海北九十五國」が示すもの
・太宰府から四方に向かう海の官道
・九州王朝説の古代官道研究の指針
(太宰府を起点として全国に張り巡らされた官道)
「~道」は軍管区、官道と都督……10分(14:05~14:15)
・「秦の始皇帝」の「馳道」と「直道」
・官道とフロンティアの東漸・屯田・屯倉
・従来説では「(~)道」は説明不能
・「~道」は軍管区
・都督は「軍管区」の最高指揮官
・「使持節・都督・諸軍事」三点セットの理由
・「将軍」号が大盤振る舞いされる理由
「東山道十五國」の比定とネットスタディ……20分(14:15~14:35)
・西村論文「五畿七道の謎」が解いた謎
・論証された「九州王朝の東山道十五國」
・『日本書紀』天武紀にみる「軍管区」
・肥沼さんの指摘「摂津国と山背国の接続が狭い」
・調べたら「摂津国」は当時「凡川内国」だった(比定の訂正)
・「九州王朝の北陸道」へ古賀さんからの疑問
1「他が海道・山道なのになぜここだけ北陸道と命名したのか?」
2「筑前から東山道(長門)を飛び越えて山陰ルートに向かうがやや不自然では」
・肥沼さんから別比定(東山道は周防から、北陸道が長門から)の提示
・官道と二つの関(東山道の関門海峡、東海道の豊予海峡)
・前畑遺跡の土塁…太宰府都城と羅城、太宰府都城の年代観―近年の研究成果と九州王朝説―(古賀達也さん)より
・山城と版築土塁(防)と官道…倭国の城塞都市「太宰府」(正木裕さん)より
(太宰府の防衛体系:大野城・基肄城と「防(防衛土塁)」と官道、「防人」)
・古賀疑問への回答…新仮説「九州王朝の東山道と四海道」(陸路と海路)〔項目名変更〕
・ブログ読者がその時代を「豊国分国後、吉備・凡川内国分国前」)と明確化
質疑応答……5分(講演に費やされて短縮される可能性あり。)(14:35~14:40)
以上55分。これを基準に講演原稿を調整します。
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【主な変更点】
西村論文「五畿七道の謎」の解説から次の項目を削除し、時間が余れば質問時間に割り当てる
・遣唐使船の航路と難破(時間が押している場合は割愛します)
「東山道十五國」の比定とネットスタディに次の二項目(朱字下線部分)を追加し、時間を5分追加割り当てした。
・前畑遺跡の土塁…太宰府都城と羅城、太宰府都城の年代観―近年の研究成果と九州王朝説―(古賀達也さん)より
・山城と版築土塁(防)と官道…倭国の城塞都市「太宰府」(正木裕さん)より
(太宰府の防衛体系:大野城・基肄城と「防(防衛土塁)」と官道、「防人」)
次の項目名を変更した。
<旧項目名>
・新仮説「九州王朝の東山道と四海道」(海峡国家でなくなった時代)
(石見国スタートの「北陸道」は海路で、その名は「北海道」だった)
<新項目名>この仮説は「古賀疑問」がきっかけであることを明確にした(迅速なネットスタディ)
・古賀疑問への回答…新仮説「九州王朝の東山道と四海道」(陸路と海路)
【変更理由】
講演内容が官道に偏っていたので、近畿地方にはない広大な区域を囲っている防衛土塁と山城で守られている都「太宰府」の特異性を明確にして、第二十一集の特集『発見された倭京――太宰府都城と官道』にかなう講演内容にするため。
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