令和元年「鴨川合同祭」・大浦の「担ぎ屋台」
令和元年「鴨川合同祭」・大浦の「担ぎ屋台」
―鴨川市指定無形民俗文化財―[趣味(撮影)][観光・旅行]
「鴨川合同祭」は千葉県鴨川市の神社(大浦・八雲神社、弁天島・厳島神社、川口・白幡神社、貝渚・八幡神社、前原・日枝神社、横渚・厳島神社、横渚・熊野神社、横渚・八雲神社、横渚・諏訪神社)の合同祭礼です。屋台(地車、「やーてぇ」)は大浦八雲神社、白幡神社、八幡神社、熊野神社の4台、山鉾(山車、「ほーこぉ」)は日枝神社・横渚八雲神社・諏訪神社の3台、神輿は上記七社に横渚厳島神社の子供神輿を加えた8基、そして鴨川市指定無形民俗文化財の大浦の「担ぎ屋台」を見ることができます。7日には鴨川小学校校庭に屋台と山鉾が、「鴨川マリーナ」駐車場広場を会場として神輿と担ぎ屋台が集結し、8日には鴨川駅前広場に神輿・屋台・山鉾の全てが集結する予定でしたが、台風15号接近の予報につき安全第一として、残念ながら駅前集結は中止となりました。
大浦の「担ぎ屋台」というのは、車輪のない「屋台(地車)」を棒で担ぐという“ハイブリッド神輿”です。乗っている笛・太鼓の奏者は、屋台がもまれても落とされても自身の足腰だけで支えて演奏をし続けるという迫力満点のものです。鴨川市のホームページには、「江戸時代の天保4年(1833)に、厳島神社の弁財天の祭礼で初めて披露され、現在に至っています。屋台は船を象徴し、大漁と漁の安全、無病息災の願いを込めて、鴨川地区内を2日かけて巡行します。派手な衣装を身にまとった50人程の担ぎ手たちが、太鼓の奏者を乗せたままの重さ約1トンの屋台を、激しく勇壮に「もむ」様は圧巻です。」と紹介されています。
磯村(鴨川漁港近傍)の厳島神社は、承知年間(834~837年)に唐から帰って大浦地区を訪れた慈覚大師 円仁(著書『入唐求法巡礼行記』)が自ら弁財天の像を彫って安置したのが始まりと言い伝えられています(伝承が正しければこの時代は既に「神仏混淆」)。
磯村・厳島神社の本開帳の間隔は60年と長く、本開帳を見るのは一生に一度のことで、直近の本開帳は2013年でした(中開帳はその中間の30年目にあります)。私が子供の頃(1953年の本開帳)には弁天島に渡る橋はなく、開帳の際には漁船を横向きに連ねて板を渡して縛って橋がわりにしていました(『古事記』にある「天浮橋」(海人の浮橋)とはこれのことかも)。磯村育ちの父は「弁天島にはよく泳いで渡ったものだ」と話しておりました。
弁天島は磯村・厳島神社の社殿があるだけの小島で、屋台・神輿の備えはなく(「子供神輿」は横渚厳島神社のもの)、「担ぎ屋台」は大浦の八雲神社の境内に格納され管理されています。そんなこともあって、地元では「大浦の(八雲神社の)担ぎ屋台」という認識が一般的です。祭り納めとして八雲神社(祭神は素戔嗚尊(天王さま)、鴨川合同祭の神社では一番の高所に鎮座する)の階段を「担ぎ屋台」が昇って行く夜景シーンを見ることが、地元民にとって祭りの最高の楽しみとなっています。
「百聞は一見に如かず」ということで、神輿集結会場で「担ぎ屋台」を撮影した映像をYouTubeにアップしましたのでご覧ください。
なお、あちらの半島とのご縁によって歴史認識に誤りのある方は、「大漁旗」や屋台の屋根に描かれた「旭日」で「火病」を発症する恐れがありますので、事実はご覧にならないのが賢明だと思います。
YouTube
(https://youtu.be/3zBb_rgKyhI)
2019/09/07令和元年の「鴨川合同祭」・大浦の担ぎ屋台1
投稿者コメント
屋台がもまれても落とされても演奏が途切れないのが見所です。
一脚(Gimbal無し)に装着したホームビデオカメラ(解像度AVCHD)で撮影したブレブレの見苦しい映像ですがご容赦ください。また、会場には他の神輿の巡行もあり、担ぎ屋台の前方を後ろ向きに歩きながらの撮影は危険なので、主に担ぎ屋台の側方や後方からの撮影となっています。
録画が長時間なのでファイルが分割され、2が1の続きです。
(https://youtu.be/qk0Y6m6kvw4)
2019/09/07令和元年の「鴨川合同祭」・大浦の担ぎ屋台2
投稿者コメント
2019/09/07令和元年の「鴨川合同祭」・大浦の担ぎ屋台1の続きです。この動画は担ぎ屋台の会場での巡行終了までです。
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